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■引用原文(『中庸』第八・第九章)
子曰、回之為人也、択乎中庸、得一善、則拳拳服膺、而弗失之矣。
子曰、天下国家可均也、爵禄可辞也、白刃可踏也、中庸不可能也。
■逐語訳
- 回之為人也:顔回という人は、
- 択乎中庸:中庸の道を選び取り、
- 得一善、則拳拳服膺、而弗失之矣:一つでも善いことを得れば、それを心に深く刻んで絶対に失わない。
- 天下国家可均也:天下・国家も公平に治めることはできる。
- 爵禄可辞也:爵位や俸禄も辞退することはできる。
- 白刃可踏也:刃の上を踏み進むような危険さえも実行できる。
- 中庸不可能也:だが、中庸を実際に行うことはきわめて困難である。
■用語解説
- 回(顔回):孔子の最も信頼した弟子。清廉・寡欲で、真摯な学びの象徴。
- 拳拳服膺(けんけんふくよう):誠実に心に刻み、胸に抱いて離さないこと。
- 均(ならす):偏りなく整える。公平に治める意。
- 白刃(はくじん):白刃とは抜かれた剣。転じて、命がけの行為を指す。
- 中庸不可能也:中庸を実践し続けることは、非常に困難であるという強調の言葉。
■全体の現代語訳(まとめ)
孔子はこう語る――
顔回という人物は、中庸という正しい道を選び、一つの善を得たら、それを胸に深く刻み、決して失うことがない。彼のように、選び、得て、守る姿勢は真に尊いものである。
また、孔子は続けて言う――
天下を治めることも、爵位を辞退することも、危険を顧みずに刃の上を進むことも、人は実行できる。
だが、中庸を選び取り、それを日々守り通すこと――それはそれ以上に難しいことである。
■解釈と現代的意義
この章句は、「中庸の継続的実践の難しさ」と「それを体現した者の偉大さ」を対比的に浮き彫りにしています。
❶ 顔回に学ぶ:善を得て、失わない心
現代においても、「いい話を聞いた」「学んだ」「共感した」ことはあっても、それを日常の中で守り続ける人はまれです。
顔回は「一つの善」を得たら、それを一生手放さなかった。これは「継続」「忠実」「自己鍛錬」の象徴であり、“深く小さく刻むような行動”こそが人をつくると示しています。
❷ 中庸は最も難しい実践
戦場で刃を踏むような行為は、一時的な勇気で成し得る。しかし「中庸を保ち続けること」は、毎日の思慮、自己制御、節度、そして継続的な誠実さを要します。
それゆえ、中庸は最大の挑戦であり、最も奥深い徳なのです。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 解釈・適用例 |
---|---|
継続性と習慣 | 一度得た“よい気づき”や“学び”を日々の仕事に反映させ、繰り返す。顔回のような一貫性が信頼を生む。 |
過激な行動より、日常の節度 | 大胆な決断や自己犠牲的行動よりも、日々の誠実さと安定した判断のほうが難しく、価値がある。 |
徳とリーダーシップ | 公平、節度、穏やかな判断――中庸を実践できるリーダーこそ、組織の重心となる。 |
内省と自己統制 | 中庸の継続は、「自分は知っている」という慢心ではなく、内省と修養によって可能となる。 |
■心得まとめ
「知るは易し、守るは難し。中庸とは、日々の心を正す技である」
たった一つの善を大切にし、それを捨てずに生きる――その姿にこそ人格の深みがある。
極端に走ることはたやすい。だが、節度と持続のある徳行こそが、真に価値あるリーダーの証である。
顔回のように、中庸を選び、守り、育てていく姿勢が、静かに、しかし確かに周囲を変えてゆくのである。
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