貞観十一年、太宗は歴史の逸話を引用して、忠義の士の絶滅を嘆いた。
「昔、春秋時代に狄人(北方の異民族)が衛の懿公(いこう)を殺し、その肉をすべて食らったが、肝だけは残した。
そのとき、臣下の弘演(こうえん)は天に向かって号泣し、自らの腹を割いて肝を取り出し、懿公の肝を自らの腹に納めた。
このような忠烈の士など、現代にはもういないだろう」
これに対して、魏徴(ぎちょう)は毅然とした面持ちで進言した。
「昔、晋の豫譲(よじょう)は、主君である智伯(ちはく)の仇である趙襄子を討とうとして捕らえられました。
趙襄子は『以前そなたは、范氏・中行氏にも仕えていたが、彼らが智伯に滅ぼされたときには復讐せず、なぜ智伯の仇だけ討とうとするのか?』と問いました。
豫譲はこれに答えて、
『范氏・中行氏は私をただの一臣として遇した。だから、私もそれにふさわしく報いた。
だが智伯は私を“国士(こくし)”として遇した。だから私は命をかけてその恩義に報いるのだ』と申したのです。
忠義の士が現れるか否かは、君主の遇し方にかかっているのです。
忠義の士がこの世にいないのではありません。彼らが報いられる場を与えられていないだけなのです」
引用(ふりがな付き)
「智伯(ちはく)は我(われ)を国士(こくし)として遇(ぐう)し、我は国士として報(むく)ゆ」
「忠臣(ちゅうしん)の有無(うむ)は、在(あ)りて君(きみ)の礼(れい)に在(あ)り」
注釈
- 弘演(こうえん):春秋時代、衛の懿公の忠臣。主君の肝を自身の体に納めようとした伝説的な忠臣。
- 豫譲(よじょう):晋の六卿に仕え、後に智伯の仇討ちに生涯を捧げた士。『史記』刺客列伝に登場。
- 国士(こくし):一国において特別に重んじられる人材。最高位の待遇を受けた者。
- 智伯・范氏・中行氏・趙襄子:いずれも春秋戦国期の有力貴族・諸侯。六卿の抗争と三国分立の背景を成す。
パーマリンク(英語スラッグ)
treat-loyalty-with-respect
忠義を引き出すのは、君主の敬意と礼遇であるという教訓を込めたスラッグです。
代案として、loyalty-requires-recognition
(忠義には認知が必要)、no-loyalty-without-honor
(礼遇なきところに忠なし)などもご提案可能です。
この章は、忠義は生まれ持った資質ではなく、為政者の器と礼遇によって花開くものであるという、魏徴の鋭い洞察を伝えています。
太宗が忠臣を欲するのであれば、その根源たる「遇し方」にこそ真摯な省察が求められるのだというメッセージが強く響きます。
以下は『貞観政要』巻一の中から、貞観十一年に太宗と魏徵の間で交わされた忠臣・義士についての会話の整理です。
『貞観政要』巻一「忠臣の鑑を求めて――魏徵の応答」
1. 原文整備
貞觀十一年、太宗、侍臣に謂(い)いて曰く、
「狄人、衞懿公を殺し、其の肉を尽く食らい、独り其の肝を留む。懿公の臣・弘演、天を呼びて大いに哭き、自ら其の肝を出し、而して懿公の肝を其の腹中に置く。今、此の如き人を覓(もと)めんとすれども、得るべからず」。
魏徵、特に対えて曰く、
「昔、豫讓(よじょう)は智伯(ちはく)の讐を報いんとし、趙襄子を刺さんと欲す。襄子、之を執え獲りて曰く、
『子(なんじ)、昔、范氏・中行氏に仕えしや。智伯、彼らを尽く滅ぼしたれば、子、乃ち身を智伯に委ね、報讐せざるなり。今、即ち智伯のために報讐せんとす、何ぞや』。
豫讓、答えて曰く、
『臣、昔、范・中行に仕えしとき、范・中行、臣を衆人として遇し、臣も衆人として報いた。
智伯、臣を国士として遇し、臣も国士として報いんと欲す』。
主に在りて、之を礼すのみ。何ぞ人無きと謂わんや」。
2. 書き下し文
貞観十一年、太宗、侍臣に言って曰く、
「狄人が衞懿公を殺して、その肉をことごとく食らい、ただ肝だけを残した。懿公の臣・弘演は、天に呼ばわって大いに泣き、自らの肝を取り出し、懿公の肝をその腹に納めた。
いま、こうした人物を求めようとしても、見出すことができない」。
魏徵、進み出て申し上げて曰く、
「昔、豫讓という者が、智伯の仇を報いようとして、趙襄子を刺そうとしました。
趙襄子がこれを捕らえて言いました、
『お前はかつて范氏や中行氏に仕えていたが、智伯が彼らを滅ぼしたときには報復せず、今になって智伯のために報復しようとするのはなぜか』と。
豫讓は答えて言いました、
『私は、范氏・中行氏には衆人(凡庸な人)として遇されました。だから、私も彼らを衆人として扱ったのです。
しかし、智伯は私を国士として遇してくれました。だから、私は国士として智伯に報いるのです』。
これは主君がその臣下を礼遇するか否かによります。
ゆえに、忠臣・義士が絶えたということはありません」。
3. 現代語訳(まとめ)
貞観十一年、太宗は、春秋時代の衛の懿公が敵に殺され、その家臣の弘演が忠義を尽くして自分の肝を取り出し、主君の遺体に納めたという逸話を挙げながら、「今の世には、このような忠義の士を見つけることはできない」と嘆いた。
これに対して魏徵は、戦国時代の豫讓(よじょう)の話を引き合いに出した。豫讓は、自分を国士として遇してくれた智伯のために復讐をしようとしたが、かつて仕えていた范氏・中行氏には恩義を感じなかったという。
魏徵は「忠義の士がいないのではなく、主君がその人をどう遇したかによる」と説いた。
4. 用語解説
用語 | 意味 |
---|---|
狄人(てきじん) | 北方の異民族、ここでは残虐な敵を意味する。 |
衞懿公(えい・いこう) | 春秋時代の衛の君主、放縦と失政で知られる。 |
弘演 | 衞懿公の忠臣とされる架空の人物。史実には詳しく登場しない。 |
豫讓(よじょう) | 戦国時代、主君・智伯の仇を討とうとしたことで有名な義士。 |
国士 | 国家にとって重要な人物。ここでは“特別な待遇”を意味する。 |
衆人 | 一般的な扱い。凡庸な者として遇されること。 |
5. 解釈と現代的意義
このやりとりは、忠臣・義士は主君の姿勢次第で生まれるという、太宗と魏徵の政治哲学の違いを示しています。
太宗は理想的な忠義を希求し「今はそのような者がいない」と嘆きましたが、魏徵は「それは君主が家臣をどう遇するかによる」と現実的に説きました。つまり、忠義は自然に生まれるものではなく、君主の姿勢が人の忠義を引き出すのだという見解です。
これは「人材育成」や「組織の風土作り」において極めて本質的な示唆を含んでいます。
6. ビジネスにおける解釈と適用
視点 | 教訓・応用 |
---|---|
リーダーシップ | 部下の忠誠心や責任感は、上司がその人材をどのように信頼し、評価するかにかかっている。 |
人材マネジメント | 凡庸に扱われれば凡庸にしか応えない。特別に扱えば、特別な働きを返してくる。 |
企業文化 | 忠義や責任感を求めるなら、まず企業として人を信頼し、尊重する文化を育てるべきである。 |
7. ビジネス心得タイトル
「国士は遇するにあり ― 忠義は信頼に応える」
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