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煩悩と我執を離れし者、輪廻を超えし者なり


目次

📜引用原文(日本語訳)

第四二偈
心が煩悩に汚れていないで、
実体についての固執を絶ち切った修行僧にとっては、
生れをくり返す輪が滅びている。
この人は悪魔の絆から解き放たれている。
― 『ダンマパダ』 第二章 第四二偈


🔍逐語訳(文ごとの意訳)

  • 心が煩悩に汚れていないで:欲望・怒り・無知といった心の汚れが、完全に消え去っている状態で、
  • 実体についての固執を絶ち切った修行僧にとっては:「我」という実在する自分への幻想(我執)を断ち切った修行者にとっては、
  • 生れをくり返す輪が滅びている:輪廻(サンサーラ)という苦しみの連鎖は終わっており、
  • この人は悪魔の絆から解き放たれている:この修行者は煩悩や執着といった束縛から完全に自由である。

📚用語解説

用語解説
煩悩に汚れていない欲・怒・愚の三毒を滅し、心が清浄である状態。悟りに不可欠。
実体についての固執(我執)「これが私だ」という誤った認識。仏教では「無我」の理解が重要。
生れをくり返す輪(輪廻)煩悩と業によって再生を繰り返す苦のサイクル。
悪魔の絆(マーラの束縛)悟りに達することを妨げる一切の執着・迷妄。

🪞全体の現代語訳(まとめ)

心が煩悩によってけがれておらず、
「自分とは何か」という執着をも断ち切った修行僧は、
もはや生と死を繰り返す輪廻から完全に解放されている。

この人は、
欲望や恐れ、執着という悪魔の鎖からも、
完全に自由となっている。


🧠解釈と現代的意義

この偈は、「悟り」とは単なる知識や形式ではなく、
“心の清浄”と“自己への執着の断絶”という二重の条件がそろって初めて達成されるものだと明確に語ります。

現代に置き換えると:

  • 煩悩=感情的反応、欲求、怒り、不安、見栄など
  • 我執=自分というイメージに対する過剰なこだわり

これらを放棄できたとき、人は外の状況にかかわらず、
本質的な自由と安らぎを手に入れることができます。


💼ビジネスにおける解釈と適用

観点応用例
感情的反応からの自由不安・怒り・嫉妬といった一時的感情に振り回されない人は、冷静に判断・行動できる。
自己像にこだわらない柔軟性「自分はこうであるべき」といった思い込みがなくなると、新しい役割や変化にも適応しやすくなる。
競争社会での心の平静成功や評価への執着を手放すことで、内面的に安定した働き方ができる。
リーダーシップの質の変化自分や他人の過ちに寛容で、組織全体の調和を優先できる、成熟したリーダーシップが育つ。

✅心得まとめ

「心の穢れと自我の執着を手放せば、
人はどこにも縛られず、生きながら自由になる。」

真の自由とは、
何かを得ることではなく、
何ものにも縛られない心を取り戻すこと

そこには、もはや繰り返される迷いも、苦しみもない――
それが“輪廻の滅尽”であり、“悪魔の絆からの解放”なのです。

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