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形にあらず、心にこそ修行は宿る


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📜引用原文(日本語訳)

一八*
他人に食を乞うからとて、それだけでは〈托鉢僧〉なのではない。
在家の行ない*をしているのであれば、それでは〈托鉢僧〉ではないのである。
― 『ダンマパダ』 第二章 第十八偈


🔍逐語訳(文ごとの意訳)

  • 他人に食を乞うからとて、それだけでは托鉢僧なのではない:托鉢という外面的な行為をしているだけでは、修行者とは呼べない。
  • 在家の行ないをしているのであれば:欲望に従い、家に執着し、物質や世俗の利益を求めているならば、
  • それでは托鉢僧ではないのである:その者は形式だけの出家であり、本質的には修行者とはいえない。

📚用語解説

用語解説
托鉢僧(たくはつそう)物質的所有を放棄し、食を乞いながら精神修行に徹する出家者のこと。比丘(びく)とも。
在家の行ない家庭や世俗的生活に見られる、欲望に基づいた行動。執着・貪欲・自己中心性など。
外形的な修行衣や形式、行動の一部だけを真似ること。内面が伴わなければ「本物」ではないという戒め。

🪞全体の現代語訳(まとめ)

食物を他人に乞うという形式だけで托鉢僧とはいえない。
たとえ衣をまとい、儀式をなぞっていたとしても、
内心がまだ在家のように欲に満ち、執着にとらわれているならば、
それは真の修行者とは呼べないのである。


🧠解釈と現代的意義

この偈は、「形式主義を捨て、内面の本質に目を向けよ」という強いメッセージです。
人は往々にして、見た目や肩書き、役割やポーズで自らを「〇〇である」と思いがちですが、
仏教は、外ではなく“内”がすべてであると説いています。

見かけが修行者でも、内面が欲にまみれていれば、それは修行者ではない。
これは現代において、**「本物」と「装い」**の違いを見極める視座を私たちに与えてくれます。


💼ビジネスにおける解釈と適用

観点実践への応用例
肩書き主義からの脱却「マネージャー」「経営者」といった肩書きより、実際に何を考え、どう行動しているかが本質。
自己認識の深まり「一流のプロ」と名乗るより、「本当にプロとしてふさわしいか」を内省することが大切。
ブランディングの誠実さ見せかけだけの価値や理念ではなく、企業文化として内面から体現しているかが信頼の基盤となる。
リーダーシップの本質指示する立場や会議での発言だけでなく、行動・態度・誠意を通して本物の信頼を築く。

✅心得まとめ

「衣をまとうだけでは僧にあらず、行いと心がそれを証す」

何を装っているかより、どう在るかが問われる時代。
「見た目」や「形式」に満足せず、内面の誠実と無欲によって、本物の道を歩むべきである。
修行とは見せるものではなく、沈黙のうちに磨かれるものである。

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