倹約(けんやく)は美徳である。
しかし、それが過ぎてしまえば、吝嗇(りんしょく)――つまりケチな性格になってしまい、
いじきたなく卑しい印象を与え、人品も疑われてしまう。
その結果、本来目指すべき高潔な道(雅道)をも傷つけることになる。
同様に、謙譲(けんじょう)は善行(懿行)であり、立派な心がけである。
だが、それが過剰になると、かえって「足恭(そっきょう)」――馬鹿丁寧で堅苦しい態度となり、
逆に相手に不快感を与えてしまう。
さらに、極端な謙譲はしばしば**「曲謹(きょっきん)」――過剰に慎み深いように見せかける態度になり、**
その裏には「機心(きしん)=下心・計略」があるのではと、相手に猜疑心すら抱かせてしまう。
つまり、「行き過ぎた美徳」はもはや美徳ではなくなるということ。
倹約も、謙譲も、その真価は自然体でありながら節度が保たれていることにある。
原文(ふりがな付き)
「倹(けん)は美徳(びとく)なり。過(す)ぐれば則(すなわ)ち慳吝(けんりん)と為(な)り、
鄙嗇(ひしょく)と為りて、反(かえ)って雅道(がどう)を傷(そこな)う。
譲(じょう)は懿行(いこう)なり。過ぐれば則ち足恭(そっきょう)と為り、
曲謹(きょっきん)と為りて、多(おお)くは機心(きしん)に出(い)づ。」
注釈
- 慳吝(けんりん):ケチで出し惜しみすること。
- 鄙嗇(ひしょく):人品が卑しく、いじきたないこと。
- 懿行(いこう):立派で善い行い。
- 足恭(そっきょう):度を越してうやうやしく、堅苦しいこと。
- 曲謹(きょっきん):不自然に慎み深さを演出すること。
- 機心(きしん):下心、裏の思惑、策略的な意図。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
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(過ぎた美徳はもはや悪)balance-in-frugality-and-modesty
(倹約と謙譲のバランス)be-natural-in-your-virtues
(美徳こそ自然体であれ)
この条は、道徳や人格を磨く上で“度合いの見極め”がいかに重要かを、具体的に示してくれます。
どんなに「良いこと」とされている行為でも、行き過ぎれば人間性を損ない、人に嫌悪される――
それゆえ、中庸(ちゅうよう)と自然体を大切にせよという、東洋思想の根幹がここにあります。
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