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言葉を知るとは、その人の心を見抜くことである

― 言の奥にある“心の病”を見極めよ ―

前章で「告子より優れている理由は、浩然の気を養っていることと“言を知る”ことだ」と語った孟子に対して、
公孫丑はさらに尋ねた。
「“言を知る”とは、具体的にどういうことなのでしょうか?」

孟子は答える。
「それは、言葉のかたちによって、その人の心の状態や内面の偏りを見抜くことだ」。

孟子は、正しくない言葉には次の四種類があると説く:

  1. 詖辞(ひじ)
     偏った言葉。心が何かに覆われてしまい、真実を見失っている状態から出る言葉。
  2. 淫辞(いんじ)
     みだらな言葉。人が何かに溺れていることのあらわれ。
  3. 邪辞(じゃじ)
     悪意のある言葉。人が道理から外れているときに出る。
  4. 遁辞(とんじ)
     言い逃れの言葉。心が行き詰まり、逃げ場を求めているときに出る。

これらの言葉は、いずれも心の歪みや弱さから生まれるものであり、そうした者が政治に関われば、政(まつりごと)を害し、
そして害ある政は、現実の事(こと)をも害することになる

つまり、言葉の異常は、個人の心にとどまらず、やがて社会全体に害を及ぼすのだ

孟子は断言する――
「たとえ聖人が再びこの世に現れたとしても、私のこの言葉には必ず同意するであろう」。


原文(ふりがな付き引用)

「何(なに)をか言(げん)を知(し)ると謂(い)う。
曰(いわ)く、詖辞(ひじ)は其(そ)の蔽(おお)う所を知る。淫辞(いんじ)は其の陥(おちい)る所を知る。
邪辞(じゃじ)は其の離(はな)るる所を知る。遁辞(とんじ)は其の窮(きゅう)する所を知る。

其の心に生(しょう)ずれば、其の政(まつりごと)に害(がい)あり。
其の政に発(はっ)すれば、其の事(こと)に害あり。
聖人(せいじん)復(また)起(お)こるとも、必(かなら)ず吾(わ)が言に従(したが)わん。」


注釈(簡潔版)

  • 詖辞(ひじ):偏見によって歪められた言葉。→ 心が何かに覆われて正しさを見失っている。
  • 淫辞(いんじ):欲望や情念に任せた言葉。→ 心が何かに溺れている。
  • 邪辞(じゃじ):正道から離れた、悪意ある言葉。→ 心が道理を失っている。
  • 遁辞(とんじ):責任回避や言い逃れの言葉。→ 心が行き詰まりを迎えている。
  • 知言(ちげん):言葉を表面的に理解するのではなく、その背後にある精神状態や性質を見抜く能力。

パーマリンク(英語スラッグ案)

  • to-know-words-is-to-see-hearts(言葉を知るとは心を見抜くこと)
  • watch-the-words-fix-the-politics(言を見よ、政を正せ)
  • words-reveal-the-soul(言葉は心を映す)

この章は、現代においても非常に示唆に富みます。
表面的な言葉の巧拙よりも、その言葉が何を映し出し、何を隠そうとしているのかを見る“深い読解力”こそが、
政治・組織・人間関係の健全性を守る鍵となる
という孟子の警告です。

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