この世界は、行いと結果の法則に貫かれている。良き行いは善き果を生み、悪しき行いは苦をもたらす――これがカルマの法則である。
だが、その因果のすべてを、人の目で見通すことはできない。
カルマは、単純な「原因と結果」ではない。一つの出来事の背後には、無数の行いが絡み合い、時には過去世にまでさかのぼる縁が存在している。
たとえば、志望する大学に合格したとする。そこには、勉強を積み重ねた努力や、良い教材との出会い、支えてくれた家族や先生の存在など、思いつく限りの「理由」は並ぶかもしれない。
だが、それらが本当に決定的な原因だったのかどうかを、完全に見極めることは誰にもできない。
カルマには二つの型がある。
- ドリシュタパラ――目に見える因果。
- アドリシュタパラ――目に見えぬ因果。
前者は、物を落とせば地に落ちるような、明白な法則。後者は、人知を超えた無数の要素が織りなす、奥深き縁の連鎖である。
そして、私たちの多くのカルマは後者――アドリシュタパラである。どれほど知恵を絞っても、原因のすべてを知ることはできず、結果のすべてを予測することもまたできない。
だからこそ、肝心なのは因果を操作しようとすることではない。いまの行いを、正しく誠実に重ねることである。目に見える結果をすぐに求めず、正しき行為を静かに積む者にこそ、時至りて善果は訪れる。
「すべての結果には原因がある」だが、「すべての原因が明らかになるとは限らない」
この深い理を理解し、驕らず、嘆かず、ただ一つひとつの行いに心を込めるべし。見えぬ因果に惑わされるよりも、今なすべき一歩に集中する者こそ、真にカルマを超える者となる。
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