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すべてを越えて、ついに彼岸に至る者


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■引用原文(日本語訳)

この障害・険道・輪廻・迷妄を超えて、
渡り終えて彼岸に達し、
瞑想し、興奮することなく、
疑惑なく、執著することのない、心安らかな人――
かれを、われは〈バラモン〉と呼ぶ。

(『ダンマパダ』第414偈|第二六章「バラモン」)


■逐語訳(構文とキーワード)

  • Yo oghaṃ ataritvā:激しい流れ(=煩悩の濁流)を渡り終えた者
  • Durangamaṃ:険しく、到達困難な道を越えた者
  • Saṃsārabandhanaṃ chetvā:輪廻の束縛を断ち切った者
  • Mohajaṃ māraṃ atikkamma:無知・迷妄から生じた魔(マーラ)を超えた者
  • Jhāyī:瞑想する者(禅定に入っている者)
  • Niruddhaṃ:静まりきった者(興奮せず)
  • Akathaṅkathī:疑いを抱かない者
  • Anupādāno:執着しない者
  • Santa cittassa:心が安らかな者
  • Tam ahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ:その人を、私は〈バラモン〉と呼ぶ

■用語解説

  • 障害(ogha):煩悩・欲望・怒りなど、悟りに至るのを妨げるもの(=激流、比喩)
  • 険道(durangama):解脱への道の険しさ、修行の難しさ
  • 輪(saṃsāra):生死を繰り返す輪廻の流れ
  • 迷妄(moha):無知・錯覚・真理に対する無明
  • 彼岸(nibbāna):悟り・涅槃。輪廻を超えた「向こう岸」
  • 瞑想(jhāna):心を静めて真理に集中する修行
  • 心安らか(santa citta):煩悩・混乱・興奮がない穏やかで澄んだ心の状態

■全体の現代語訳(まとめ)

あらゆる障害と煩悩の激流を越え、
厳しく険しい道を歩み抜き、
輪廻という迷いの輪を断ち、
無知と迷妄を超えた者――

彼は、常に瞑想し、心が鎮まり、
もはや疑うことも、執着することもなく、
静かに安らかに在る。

そのような人を、仏陀は〈バラモン〉と呼ぶ。


■解釈と現代的意義

この偈は、精神的に完成された人間の条件を、象徴的な旅の比喩で表しています。
人生の「困難な川(ogha)」を越え、「長く険しい道(durangama)」を歩き、「輪廻(saṃsāra)」という執着の輪から抜け出し、「無知(moha)」による妨げを超える――それは仏道修行そのものです。

そして、瞑想により静まり、動揺や疑いをもたず、何にも執着しない心境こそが、到達すべき境地だと説かれます。
現代の私たちにとっても、「迷い」「不安」「執着」「怒り」を乗り越えるためには、自分自身の内面の旅を続け、最終的に「心の静寂(santa citta)」にたどり着くことが必要なのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
困難と混乱を超える胆力組織の中の矛盾・葛藤・競争に流されず、本質を見て進む力が、真のリーダーを育てる。
執着を離れた柔軟な決断過去の成功体験や評価にとらわれず、今なすべき判断を下す。
心の静けさによる影響力混乱の中で静かに判断し行動できる人物は、周囲に安心感と信頼を与える。
長期的視点と内省的リーダーシップ短期の利益に囚われず、深く考え、学び、実践を継続する姿勢が、組織に持続的成長をもたらす。

■心得まとめ

「すべての障害を超え、ただ静かに在る者こそ強い」

人生には、外からの妨げ(障害)も、
内からの欲望や不安(迷妄)もある。

だが、それらをすべて超えて、
自らの心を澄ませ、静め、
疑いや執着から自由になったとき――
人は真に安らかになれる。

その境地に至った者こそ、
現代社会における〈バラモン〉、
すなわち「自分自身を超えた人」なのです。

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