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苦しみを超え、重荷を降ろし、自由に生きる者


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■引用原文(日本語訳)

すでにこの世において、自分の苦しみが滅びたことを知り、
重荷をおろし、執着から解き放たれた者――
その人を、私は〈バラモン〉と呼ぶ。

(『ダンマパダ』第402偈|第二六章「バラモン」)


■逐語訳

  • Yo imassa lokassa:この世において
  • Dukkhaṃ pajaññā:苦しみが滅びたと知っている者
  • Bhāraṃ chaḍḍayitvāna:重荷(煩悩・執着)を降ろし
  • Visaṃyuttaṃ:あらゆるとらわれから離れ
  • Tam ahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ:その人こそ、私は〈バラモン〉と呼ぶ

■用語解説

  • 苦しみ(dukkha):仏教の根本概念である「満たされなさ」「不安」「思い通りにならないこと」。
  • 重荷(bhāra):五蘊(色・受・想・行・識)や欲望・執着・責任など、心を重くするものの比喩。
  • 執着からの自由(visaṃyutta):煩悩・所有・欲望・アイデンティティなどから離れている状態。
  • この世において(imassa lokassa):現実世界で、すでにその境地に達しているという強調。

■全体の現代語訳(まとめ)

この現実世界において、
自らの苦しみの根を見抜き、そこからの自由を得た者。
煩悩という重荷を下ろし、執着という鎖を断ち切った者――
そのような者こそ、仏陀は〈バラモン〉と呼ぶ。
それは遠い理想ではなく、今ここで達成される実践の果実である。


■解釈と現代的意義

この偈は、「苦しみは内にある」と見抜き、それを自ら終わらせた人が真に自由であると教えています。
私たちは、責任・期待・過去・将来・承認欲求といったさまざまな「重荷」を背負っています。
そしてその重荷は、他人ではなく自分の執着や思い込みによって作られていることが多いのです。

真の自由とは、「それを見抜き、静かに手放すこと」にあります。
そしてそれは死後の解脱ではなく、「この世において」達成可能なものとして仏陀は明言しています。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
メンタルの重荷を手放す成果・評価・過去の失敗・将来への不安など、見えない心の重荷を手放すことで、集中力と健全性が回復する。
執着のない意思決定利益・保身・名誉などにとらわれず、原理原則に基づいた判断ができる人は、周囲から厚く信頼される。
自己理解とマインドセット自分の「苦しみの正体」を認識し、外的状況よりも内的状態に目を向けることが、持続的なレジリエンスを生む。
ワークライフバランス「重荷」となっている業務・期待・役割から適切に距離を取り、自分らしく働くための再設計を行う。

■心得まとめ

「苦しみを自覚し、手放す者が、最も自由である」
人生の重さは、物や仕事の多さよりも、
それに執着する「心の重さ」にある。
本当に自由な人とは、それらをそっと降ろし、
「今ここにある静けさ」の中に生きる人。
ビジネスにおいても、執着を手放したとき、
最も柔らかく、最も力強いリーダーシップが生まれるのです。

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