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戦う者は常軌を越える ― 気違いこそ覚悟の完成形


目次

一、章句の原文と逐語訳

🔹原文(聞書第二より)

恵芳和尚話に、安芸殿物語に、
「武辺は気違いにならねばされぬものなり」と御申し候由。
我等覚悟に合ひ候儀、不思議に存じ、その後いよいよ気違に極め候となり。

🔹現代語訳(逐語)

恵芳和尚(高伝寺住職)の話によれば、安芸殿は
「戦というものは、気違いにならなければできないものだ」と仰ったそうである。
その言葉が、自分の覚悟ともまったく合致するように感じ、不思議なことだと思い、
それ以後、私はますます「気違い」としての覚悟を貫こうと決意したのである。


二、「気違い」の意味とは何か?― 覚悟の極限

ここでの「気違い」とは、「常識を超えた覚悟」「世間的な分別や体面を捨てた姿勢」のことです。
重要なのは、これは単なる狂乱や暴力ではなく、「理性をも焼き尽くすほどの決意」の象徴であるという点です。

  • 世間や周囲がどう見ようが、やるべきことをやる
  • 成否や損得ではなく、「我が志」に従って突き進む
  • 自他共に「気違い」と言われても、恥ではなく、むしろ誇りである

まさに**“覚悟が覚悟を呼ぶ”状態**です。


三、背景と文脈

この章句は『聞書第二』に位置し、より個人的な告白に近い内容です。
常朝自身が「気違い」を人生の軸に据えたことを語る、ある種の思想的な宣言ともいえます。

彼はすでに「死狂ひ」「無分別」を通して、武士のあるべき姿を描いてきましたが、ここで「自分はついに“気違い”に至った」と語ることで、その哲学を自己に引き受けたことを明かしています


四、現代における「気違い」の翻訳と応用

この“気違い”の概念は、現代社会では以下のように読み替えることができます:

シーン応用・行動指針
起業・独立周囲が無理だと言っても「それでもやる」と信念に突き進む者。常識外の挑戦者こそ成功の種を握る。
プロジェクト推進複雑な利害関係や手続きを超えて「目的を絶対に果たす」という執念。
リーダーシップ躊躇や日和見をせず、一歩踏み出す狂気が人を動かす。誰よりも先に火の中に飛び込める人間が信頼を得る。
芸術や創造人から見れば“狂っている”ような探究・表現への没頭。それが唯一無二の価値を生む。

五、「気違い」を貫く覚悟の条件

  • 恐れず、人に狂と呼ばれることを恐れない
  • 失敗を恐れず、損得を越えて行動する
  • 合理性や他人の評価より、己の志を優先する
  • 日々、自分の信念を問い直し、貫き続ける

六、まとめ:『葉隠』が語る狂気の美学

  • 「気違いにならねば戦えぬ」とは、究極の集中力と覚悟の表現である。
  • 志を貫く者は、常識から見れば常軌を逸して見える。
  • だがその“狂”こそが、人を動かし、時代を動かす。
  • 常朝自身も、その狂に至ったことを誇りとしていた。

✅心得要約:正気の者には戦えぬ――狂うほどに生きよ

信念に従い突き進む者は、気違いと呼ばれる。
だが、世界を動かすのは、そう呼ばれた者たちである。
分別を捨て、損得を超え、理性をも焼き尽くす――そこに本当の「戦い」がある。
『葉隠』は、そんな“狂”こそが生きる覚悟だと教えてくれる。


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