📖 原文引用(『ダンマパダ』第二五章 第361偈)
身について慎しむのは善い。ことばについて慎しむのは善い。
心について慎しむのは善い。あらゆることについて慎しむのは善いことである。
修行僧はあらゆることがらについて慎しみ、すべての苦しみから脱れる。
(原文:Kāyena saṃvaro sādhu, sādhu vācāya saṃvaro,
manasā saṃvaro sādhu, sādhu sabbattha saṃvaro.
Sabbattha saṃvuto bhikkhu, sabbadukkhā pamuccati.
―『Dhammapada』Ch. 25, v.361)
🔍 逐語訳(逐文・簡潔)
- Kāyena saṃvaro sādhu:身による制御は善い。
- Vācāya saṃvaro sādhu:言葉による制御は善い。
- Manasā saṃvaro sādhu:心による制御は善い。
- Sabbattha saṃvaro sādhu:すべてにおいて制御することは善い。
- Sabbattha saṃvuto bhikkhu, sabbadukkhā pamuccati:すべてにおいて慎みを持つ修行僧は、すべての苦しみから解放される。
📘 用語解説
- 身(kāya):行動・身体の振る舞い。仏教では五戒の基礎として不殺生・不偸盗・不邪淫などが含まれる。
- ことば(vācā):発言・言語行為。嘘・悪口・無駄話・二枚舌を戒める。
- 心(manas):思考・内面的態度。貪欲・怒り・妄念などを含む。
- 慎しむ(saṃvara):抑制・統制すること。外的な禁止ではなく、内的な自己統御。
- 修行僧(bhikkhu):ここでは比丘に限らず、「精神的修行に励む人」として象徴的に解釈できる。
- すべての苦しみ(sabbadukkha):煩悩や欲、怒り、無知によって生じるあらゆる心の不安や苦悩。
🗣️ 全体の現代語訳(まとめ)
身体において慎しみを持つのは善い。言葉を選ぶこともまた善い。
心の働きを制御するのはさらに善い。これらすべてにおいて慎みを守ることは、修行者として望ましい。
すべての行為・言葉・思考に対して慎重な態度を取る修行僧は、あらゆる苦しみから自由になる。
🧭 解釈と現代的意義
この偈は、仏教の実践が単なる観念や瞑想に留まるものではなく、具体的な「身体・言葉・心」の統御によって成り立つことを説いています。
現代人にとっては、感情的に怒って行動したり、無責任な言葉を吐いたり、妄想や過去・未来に囚われて心が暴れることが多いでしょう。
しかし、自分の行為、話し方、そして思考・反応の癖を意識し、慎むことによって、内なる平安が生まれ、苦しみが自然と離れていくのです。
💼 ビジネスにおける解釈と応用
観点 | 応用・実践例 |
---|---|
行動の慎み(身) | 怒りに任せた行動や無礼な態度を抑え、冷静な立ち振る舞いを心がけることで信頼を得る。 |
発言の慎み(言) | 感情的な発言、無責任な発言、他人の悪口を避け、誠実で簡潔な言葉を使うことが人間関係の質を高める。 |
思考の慎み(心) | 嫉妬、比較、悲観などの内面的な反応を手放し、現実的で建設的な思考を習慣づける。 |
総合的な慎み | 忙しさの中でも「自分が今、どのような身体・言葉・思考をしているか」に意識的になるマインドフルネス習慣が効果的。 |
🧠 心得まとめ(ビジネスパーソン向け)
「体を慎み、口を慎み、心を慎め。己を律する者に、苦しみは寄りつかない。」
真のプロフェッショナルとは、技術力や知識量ではなく、どれだけ自らの行動・発言・思考を制御できるかで決まる。
慎しみとは抑圧ではなく、自らの尊厳と調和を守る智慧である。
次に「目・耳・鼻・舌」に続き、この「身・言・心」を加えることで、『ダンマパダ』の感覚と行動の制御に関する核心が形成されます。
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