情熱が燃え上がるときは、自分が病に倒れたときのことを思い出す。
名誉や利益が甘く感じられるときは、自分の死の瞬間を思い浮かべる。
そうすれば、燃えさかる欲望は冷えた灰のように静まり、飴のように甘い功名も、噛みしめる蝋のように味気なく感じられるだろう。
つまり、人は常に「死」や「病」という極限の場面を思い描くことで、
色欲や名利といった“幻のような行為=幻業”を追いかける心が自然と退き、
代わりに、正しい道を求める心=道心を静かに、しかし長く育てていくことができるのである。
これは、何かを禁じるための説教ではない。
「死を意識すること」が、逆に生をより正しく深く生きるための智慧となる――それが本項の核心である。
引用(ふりがな付き)
色欲(しきよく)は火(ひ)のごとく熾(さか)んなるも、而(しか)も一念(いちねん)、病時(びょうじ)に及(およ)べば、便(すなわ)ち興(こう)は寒灰(かんばい)に似(に)たり。
名利(めいり)は飴(あめ)のごとく甘(あま)きも、而も一想(いっそう)、死地(しち)に到(いた)れば、便ち味(あじ)は嚼蠟(しゃくらく)の如(ごと)し。
故(ゆえ)に人(ひと)常(つね)に死(し)を憂(うれ)え病(びょう)を慮(おもんばか)らば、亦(また)た幻業(げんごう)を消(しょう)して道心(どうしん)を長(ちょう)ずべし。
注釈
- 色欲は火のごとく熾んなる:欲望は強烈で、燃えさかるように人を動かす。
- 寒灰(かんばい):すっかり冷めた灰。病を思えば、欲の火もこれほどに冷える。
- 嚼蠟(しゃくらく):蝋を噛むような、味のない状態。死を思えば、甘美な名利も無味に変わる。
- 幻業(げんごう):欲望や栄達など、実体のない執着的な行為。
- 道心(どうしん):正しい道を求める心。仏道・儒道・人間としての真摯な生き方への志。
関連思想と補足
- 『菜根譚』前集26条では「事後を想定して行動すべし」と説かれ、人生の無常を見据えた行動指針が語られる。
- 同じく78条では、**「死を想えば貪欲は消える」**という教えが明示されており、本項はその発展と深化である。
- 仏教の「死想観」(死を常に観想する修行)にも共通し、煩悩を超える手段として古来より実践されてきた。
原文:
色慾火熾、而一念病時、興似寒灰。
名利飴甘、而一想到死地、味如嚼蠟。
故人常憂死慮病、亦可消幻業而長道心。
書き下し文:
色欲(しきよく)は火のごとく熾(さかん)なるも、一念、病時に及べば、興(きょう)は寒灰(かんかい)に似たり。
名利(みょうり)は飴(あめ)のごとく甘きも、一たび死地に想到(おもいいた)れば、味は蠟(ろう)を嚼(か)むがごとし。
故に、人、常に死を憂え病を慮(おもんばか)れば、亦(また)幻業(げんごう)を消し、道心(どうしん)を長ずべし。
現代語訳(逐語/一文ずつ):
- 「色欲は火のごとく熾んなるも、一念、病時に及べば、興は寒灰に似たり」
→ 性欲は燃え盛る火のように激しくなるものだが、たった一度の病の苦しみに遭えば、その欲も冷たい灰のように消え失せてしまう。 - 「名利は飴のごとく甘きも、一たび死地に想到れば、味は蠟を嚼むがごとし」
→ 名誉や利益は飴のように甘く魅力的だが、一度でも死を意識するような場面になれば、それはまるで蝋(ろう)を噛むような無味乾燥なものになる。 - 「故に人、常に死を憂え病を慮れば、亦た幻業を消し、道心を長ずべし」
→ だから人は、常に死や病を念頭に置いて生きれば、欲望に惑わされた妄想のような行為(=幻業)を消し去り、正しい道を求める心(=道心)を育てることができる。
用語解説:
- 色欲(しきよく):肉体的な欲望、主に性愛に関わる欲。
- 寒灰(かんかい):冷めきった灰。欲の消えた状態の比喩。
- 名利(みょうり):名誉と利益。人が執着しやすい世俗的欲望。
- 蠟(ろう)を嚼む:無味で不快な感覚のたとえ。かつて甘く思えたものが、無意味に感じるさま。
- 幻業(げんごう):幻想・妄執によってなされた行為。輪廻・執着の原因。
- 道心(どうしん):仏道・徳・正しい生き方を求める心。悟りを目指す精神。
全体の現代語訳(まとめ):
性欲や出世欲といった欲望は、盛んに燃え上がるが、病気にかかったり死を意識した瞬間、それらの欲望は一気に冷めてしまう。
名誉や利益が甘美に思えても、死の直前にはすべてが空虚で味気ないものに見える。
だからこそ、人は常に死と病を思い、自らの欲望を省みることで、妄念を手放し、真に価値ある生き方を目指す“道心”を養うことができる。
解釈と現代的意義:
この章句は、**「欲望のはかなさ」と、「死の意識によって見えてくる本質的な価値観」**を深く説いたものです。
1. 欲望は状況次第で簡単に消える
- 性的欲望や出世・金銭欲などは、体調や状況一つで一瞬にして消え去る。
→ 本当はそこまで“絶対的なもの”ではない。
2. 死を思うことで“今の執着”の虚しさが見える
- 死や病という極限状況を想像することで、欲望に執着する愚かさが際立つ。
→ 「限界の視点」を持つと、価値の再構築ができる。
3. “死の意識”はネガティブではなく、覚醒のきっかけ
- 死や病を恐れて避けるのではなく、それを「道心を育てる触媒」にするべき。
→ 一歩引いて自分を俯瞰する“精神的高度”を持つことが大切。
ビジネスにおける解釈と適用:
1. 一時の利益・欲望に支配されると視野が狭くなる
- 短期的な売上、肩書、他人の評価に振り回されると、判断を誤る。
→ “それが本当に価値あることか”を定期的に見直す視点が必要。
2. “死”を想定すると、やるべき仕事が絞られる
- 自分が余命1年だとしたら、この仕事をするか? この人と付き合うか?
→ 判断基準の精度が上がり、余計なことを切れるようになる。
3. 持続可能な「道心経営」へ
- 目先の数字ではなく、社会的意義・誠実さ・人間性を軸とした事業運営が求められる。
→ 「幻業」にエネルギーを使うより、「道心」を育てる企業文化を。
ビジネス用心得タイトル:
「死を想え、欲を見よ──“幻”を捨てて“道”に立て」
この章句は、日常では見落とされがちな“生死の視点”が、いかに人間の価値判断を根底から変えるかを教えてくれます。
どんな成功や快楽も、「死」という普遍的現実の前では儚く、むしろそれを見据えたときにこそ、本当に価値ある行動・選択が生まれるという、大きな教えです。
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