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生死の真理を超えて歩む、執着なき覚者


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■引用原文(日本語訳)

生きとし生ける者の死と生をすべて知り、
執着することなく、
よく歩みし者、覚った人――
かれを、われは〈バラモン〉と呼ぶ。

(『ダンマパダ』第419偈|第二六章「バラモン」)


■逐語訳と語義

  • Yo jānāti jāti maraṇaṃ:「生(誕生)と死(死滅)を知る者」
  • Sattānaṃ:「生きとし生けるものすべての」
  • Upādānakkhayā anāsavo:「執着(取)の消滅によって、煩悩の漏れがない者(=阿羅漢)」
  • Vantañca saṃsāraṃ visuddhajīvo:「輪廻を超え、清らかな命を生きる者」
  • Tam ahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ:「そのような者を、私は〈バラモン〉と呼ぶ」

■用語解説

  • 生死(jāti-maraṇa):生まれ変わりと死を繰り返す輪廻の根本的構造。
  • 執着の消滅(upādānakkhaya):自己や所有への執着を徹底的に滅した状態。
  • 無漏(anāsava):煩悩(貪・瞋・痴)の「漏れ」が完全に塞がれた状態。解脱者。
  • 輪廻からの解脱(vantaṃ saṃsāraṃ):誕生と死のサイクルから脱した者。
  • 清らかな生命(visuddha-jīva):煩悩に汚されない、純粋で覚醒した生き方を持つ者。

■全体の現代語訳(まとめ)

生きとし生けるものの生と死の理(ことわり)を深く知り、
いかなるものにも執着することなく、
輪廻の流れを終え、
清らかな心で生きている者――
そのような覚者を、仏陀は〈バラモン〉と呼ぶ。


■解釈と現代的意義

この偈は、仏教における究極の智慧「生死の洞察」と、それに基づく「執着の断絶」を語ります。
人は生きながらにして常に「死」の不安に直面していますが、それを見ないようにしたり、対処的に振る舞うことが多いものです。

ここで説かれる〈バラモン〉は、「死を恐れない」のではなく、**「生死をあるがままに知って受け入れている」**者です。
そして、執着なき存在として「今ここ」を清らかに生きるという点で、比類なき境地に達した人の姿を示しています。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
無常観に基づく意思決定変化と終わりを前提に行動することで、執着に基づく無理な選択を避ける。
過剰な所有欲や地位欲の手放し物や肩書きを握りしめるのではなく、「今なすべきこと」に集中できる心を養う。
恐れないマネジメント終わりを受け入れ、失敗や撤退を戦略的に選べるリーダーシップ。
覚者的な在り方状況に左右されずに静かな判断力と実践力を持つ人は、組織の軸となる。

■心得まとめ

「生も死も、知り尽くしてなお、静かに歩む」

人は、生に執着し、
死を恐れ、
未来にとらわれる。

だが、
そのすべてを知り、
流れに巻かれず、
ただ、今を清らかに生きる者――

それは逃避ではなく、
すべてを見抜いた者だけが持つ、
静けさと力に満ちた在り方である。

真の〈バラモン〉とは、
「死生の向こうを見通し、何ものにも縛られずに生きる」
そんな覚者の生き方なのです。

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