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📜 引用原文(出典:『ダンマパダ』第3章「心品」第6偈相当)
しかし、心に怒りと不浄を制し、害心を除き、
よく説かれた法(ダンマ)を明らかに知る者は、
この世において、安穏に至るであろう。
(パーリ語原典:
Yo ca uppatitaṃ kodhaṃ, rathaṃ bhantaṃva vāraye;
Tamahaṃ sārathiṃ brūmi, rasmiggāho itaro janoti.
※この句の思想は第222偈や第94偈とも深く通じます。)
🪶 逐語訳(意訳)
- 怒りと不浄を抑え、他人を害しようとする心(害心)を断った者、
- その者は、よく説かれた法(ブッダの教え)を正しく理解する。
- そしてその人は、智慧に導かれて苦しみを超え、安らぎに至る。
📘 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
怒り(kodha) | 他人や状況に対する敵意や苛立ち。 |
不浄(asuci) | 心の中の煩悩・貪欲・妄念・嫉妬など、心を濁らせる要素。 |
害心(vihimsā) | 他者を攻撃したい・傷つけたいという破壊的な心のエネルギー。 |
よく説かれた法(svakkhāto dhammo) | ブッダによって整然と説かれた道理。 |
明らかに知る(paññāya passati) | 単なる知識でなく、内的体験として真理を理解すること。 |
🧾 全体の現代語訳(まとめ)
もし、怒りや嫉妬、欲望といった心の汚れをしっかりと制し、
他人を傷つけようとする気持ちを手放し、
静かで清らかな心でいることができるならば、
その人は仏陀が説いた道理(ダンマ)を、深く明確に理解することができる。
そして、理解にとどまらず、安穏と平和な境地へと進むことができるのだ。
🔍 解釈と現代的意義
この句は前の偈(二五)と対になっており、
「汚れた心では道理が見えず、清らかな心にこそ真理が映る」という仏教の根本構造を提示しています。
現代に置き換えると、
私たちは多くの「正しさ」や「情報」に囲まれているものの、
心に怒りや混乱、自己防衛の思いがある限り、
それを正しく受け取ることはできないということです。
つまり、「どんなに良い本を読んでも、心が怒っていれば何も響かない」
という経験は、まさにこの教えを示しています。
💼 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
リーダーシップの質 | 怒りや支配欲からではなく、落ち着きと他者への敬意から出る判断が、最も組織を導く力になる。 |
社員教育・育成 | スキル研修よりもまず、心を整えるマインドフルネスや自省の機会が、理解力と実行力を高める。 |
誤解を防ぐ対話 | 相手の意見を聞くとき、心が防衛的であれば誤解が生じる。心が穏やかであるほど理解が進む。 |
問題解決力 | パニック状態では本質が見えず、冷静な心にこそ「正解」が現れる。 |
💡 心得まとめ(結びのことば)
「怒りを鎮めてこそ、真理は語りかけてくる。」
「害心を離れたとき、人は本当の理解と安らぎに出会う。」
私たちは「何を知るか」より、「どんな心で受け取るか」で人生が決まります。
本当の智慧は、静かな心にしか降りてこない。
怒りを捨て、妄想を捨て、他者を害そうとする心を手放したとき、
世界はまるで別の風景を見せてくれるのです。
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