目次
📜引用原文(日本語訳)
第二八偈
身体にも、ことばにも、心にも、悪が無くて、
善いことをなす性で、恥を知る最上の人を〈修行僧〉と呼ぶ。
― 『ダンマパダ』 第二章 第二八偈
🔍逐語訳(文ごとの意訳)
- 身体にも、ことばにも、心にも、悪が無くて:行動・発言・思考のすべてにおいて、害をなさず、他を損なわない。
- 善いことをなす性で:積極的に善行を選び取り、自然とよき振る舞いをする習性が備わっている。
- 恥を知る最上の人:過ちを自覚し、自らを慎み、倫理に反することを恥じる心を持っている者。
- 〈修行僧〉と呼ぶ:このような人こそが、本当の意味で仏道を歩む修行者にふさわしいと認められる。
📚用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
身体・ことば・心の三業(さんごう) | 仏教における行為の三分類。身業(行動)、口業(言葉)、意業(心の働き)を整えることが修行の要。 |
悪が無い(アクサナ) | 他人を傷つけたり、自他を貶める行いが一切ない清浄な状態。 |
恥を知る(ヒーリ) | 道徳的な感覚として、自分の誤りや不徳を自覚し、修正しようとする内省的な態度。 |
最上の人(ウッタマ・プルサ) | 人間として最高の徳を備えた者。人格的完成を目指す理想像。 |
🪞全体の現代語訳(まとめ)
行動・言葉・心のすべてにおいて他を傷つけず、
常に善きことを志向し、
自らの行いに恥を感じることのできる心の柔らかさを持つ者――
その人こそ、仏法における最上の修行者と呼ばれるにふさわしい。
🧠解釈と現代的意義
この偈は、「行為の清らかさ」に加え、現代人が見落としがちな「恥を知るこころ=倫理的な自制力」の重要性を説いています。
現代では、ミスや過失を「恥」として避けるのではなく、開き直ったり正当化しがちです。
しかし仏教は、“恥を知る力”こそが人間の高貴さを保ち、成長の出発点になると説くのです。
つまり、自己反省と倫理感は、単なる道徳ではなく、智慧と自由への入り口なのです。
💼ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 応用例 |
---|---|
三業の調和=人間力の基礎 | 言行一致・心言行一致は、信頼されるリーダーやパートナーの絶対条件。 |
自省力と倫理観のリーダーシップ | 恥を知る人=過ちを認め、学び直せる人。その姿勢が組織に誠実さと成長文化をもたらす。 |
善をなす性格形成=無意識の質を高める | 意識的に小さな善行を重ねることで、反射的に良い行動が取れるようになる。 |
見えないところの“徳”が結果をつくる | 人目のない場所での行動こそが、真の品性と運をつくる。修行僧のように日々を整えることが信頼を築く。 |
✅心得まとめ
「行動に慎み、心に善を育み、恥を知ること――それが真の高貴な人である」
見られていない時のふるまい、
誰にも知られない思考の中に、
その人の“真の修行”があらわれる。
その姿こそ、仏が称える「修行僧」の姿である。
この偈は、「行動の正しさ+倫理の深さ」の両輪があってこそ、修行は完成に近づくという教えです。
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