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■引用原文(日本語訳)
主君(個我)は何人の罪悪をも、善行をも受け取らない。だが、知識は無知により覆われ、それにより生類は迷う。
(第5章 第15節)
■逐語訳
真我(主君)は、誰の罪も、誰の善行も、受け取ることはない。
しかし、知識(真理への理解)は、無知によって覆われており、だからこそ人々は迷妄に陥っている。
■用語解説
- 主君(プルシャ/アートマン):真の自己。純粋で不変の意識。行為の影響を受けない観照者。
- 罪悪・善行:道徳的評価の対象となる行為。カルマの原因とされるもの。
- 受け取らない:真我は行為の結果に関与せず、ただ見守る存在であることを示す。
- 知識(ジュニャーナ):自己や宇宙の本質に関する真の理解。
- 無知(アヴィディヤー):真理を知らず、自己と行為・結果・欲望などを同一視する状態。
- 迷い(モーハ):錯覚・誤認によって、本質を見失った状態。
■全体の現代語訳(まとめ)
真の自己は、誰かの悪事にも、善行にも関与せず、影響を受けることもない。
だが、人々は自分自身の本質を知らず、無知により知識が覆われているために、行為と自己を混同し、迷いの中に生きている。
■解釈と現代的意義
この節は、「罪や功績にとらわれるのは、真我ではなく、無知ゆえに迷っている“自我”である」と説きます。
行為の評価に一喜一憂し、自責や傲慢に陥るのは、「私がすべてを動かしている」という誤解から生まれます。
ギーターは、「本当のあなたは、善悪を超えた純粋な存在である」と静かに語りかけます。
その本質に気づけば、私たちは過去の失敗に囚われず、未来の期待に振り回されず、「今、どう生きるか」に集中できるようになります。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
評価に対する意識 | 他者の評価(善悪)に過剰反応せず、自分の本質的な目的と価値に基づいて行動する。 |
失敗との向き合い方 | 失敗や罪悪感を「真の自己が汚れた」と捉えるのではなく、「経験としての行為があっただけ」と受け止めることで回復が早くなる。 |
エゴの手放し | 成功や成果を“自分の手柄”と考える慢心を捨てることで、より謙虚で協調的な姿勢が育まれる。 |
内省と修正力 | 外的行為に善悪のラベルを貼るより、「自分の本質からズレていないか」という視点で判断・修正するほうが持続的成長につながる。 |
■心得まとめ
「本質は常に清らか。迷うのは“私”が何者かを忘れたとき」
誰の中にも、罪にも善にも染まらない静かな存在(真我)がある。
私たちが迷い、苦しむのは、その存在を忘れ、行為や評価に自分を同一化するから。
ギーターは、「あなたは本来、清らかで自由な存在なのだ」と教えてくれます。その視点を持てば、ビジネスも人生も、もっと軽やかに進んでいけるのです。
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