目次
引用原文(現代語訳)
悪い行ないをした人々は地獄におもむき、
善いことをした人々は善いところ(=天)に生れるであろう。
しかし他の人々は、この世で道を修して、汚れを去り、
安らぎに入るであろう。
逐語訳と用語解説
表現 | 解釈・補足 |
---|---|
悪い行ないをした人々 | 殺生・盗み・虚言など十悪業に染まった者。 |
地獄におもむき | 業報として最も苦しみの多い世界へ堕ちる。六道の最下層。 |
善いことをした人々 | 布施・持戒・思いやりなど、善なる心と言動に生きた者。 |
善いところ(=天)に生れる | 六道の中でも楽を受ける天界、神々の世界。だがそれも輪廻の中。 |
道を修して | 仏の道=八正道などを実践し、修行する者。 |
汚れを去り | 煩悩(貪・瞋・痴)を浄化し、無明を離れること。 |
安らぎに入る | 涅槃に至る。輪廻から解脱し、苦しみのない境地に到ること。 |
全体の現代語訳(まとめ)
悪しき行為を重ねた者は、死後、地獄に堕ちて苦しみを受ける。
善き行いを積んだ者は、天界に生まれて喜びを受ける。
しかしそれらを超えて、真に仏の道を修し、煩悩を捨て去った者は、
この世にいながらも心の平安に至り、輪廻を離れた「安らぎ」に入るのだ。
解釈と現代的意義
この偈は、仏教が単なる道徳論や死後の救済論を超えた「心の解放の道」であること」を明確に示します。
悪は苦しみを、善は喜びをもたらします。しかしどちらもまだ「輪廻の枠内」にあり、真の自由ではありません。
仏教が目指すのは、行為の果に揺れ動かされることのない、内面的な解脱・安らぎ(ニッバーナ)。それはこの世にいながらでも可能であり、そのためには「道を修する」=正しい生き方を実践し、煩悩を浄化することが必要とされます。
ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 実践的な適用例 |
---|---|
短期成果 vs 長期的解放 | 利益(天)と損失(地獄)という二元的発想を超え、「心の自由」「意味のある仕事」に向かう姿勢を持つ。 |
表面的評価ではなく内面修養を重視 | 数字や肩書きで評価されるより、自分の「心の安らぎ」や「行動の純粋さ」に価値を置く働き方へ。 |
リーダーシップと人格形成 | リーダーは部下を善悪で裁くのではなく、「共に修道する姿勢」を持ち、内面的成長を促す関係性を築く。 |
組織文化の深化 | 成果主義だけでなく、誠実・思いやり・自己超越を評価軸に据えた文化構築。これにより社員は「内なる満足」に近づく。 |
心得まとめ(感興のことば)
「生まれ変わるのではなく、超えてゆけ」
悪をなせば苦しみに沈み、
善をなせば喜びに満たされる。
だが、そのどちらも、
まだ流転の中の出来事にすぎない。
真に目覚めた者は、
善悪を超えて道を修し、
煩悩を去って、
静かなる安らぎへと至るのだ。
それは、どこかにあるのではない。
あなたの、この心の中にこそある。
この偈は、行為の結果にとらわれることなく「自らの心の質」に目を向け、そこに安らぎを見出す仏教的完成の道を明示しています。
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