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真理を味わい、執着を離れ、覚りの道を喜ぶ心


目次

🔖 原文(日本語訳)

「心が真理を楽しみ、覆いをはなれたやすらぎを執著せず、
四念処を楽しみ、またさとりを得るための七つのよすが(七覚支)を楽しみ、……」
――『ダンマパダ』第1章「双句品」第14偈(冒頭)


📝 逐語訳

  • 心が真理を楽しみ:心が仏陀の教え・道理を味わい、深く共鳴し喜ぶ。
  • 覆いをはなれたやすらぎを執著せず:煩悩や無明の覆いを超えた静寂な境地にあっても、それ自体に執着せず自由である。
  • 四念処を楽しみ:心身の観察と気づき(四念処)を喜び、常に内観を続けている。
  • 七つのよすが(七覚支)を楽しみ:覚りに至る七つの支え(七覚支)を修習し、それを深く楽しむ。

🧩 用語解説

用語意味
真理(ダルマ)仏教の教え、法、宇宙の道理。内面的実践によって体得されるべきもの。
覆い(アーヴァラナ)心を妨げる障害(無明・煩悩・欲望など)。これを離れた状態が「解脱」。
やすらぎ(涅槃に近い境地)煩悩なき静けさ。ここでは究極的安らぎへの執着すら離れる姿勢が強調されている。
四念処(しねんじょ)身・受・心・法の四つの観察対象を通して気づきを養う瞑想法。仏道修行の根本。
七覚支(しちかくし)念・択法・精進・喜・軽安・定・捨の七つ。覚りに至る実践の支え。

🌐 全体の現代語訳(まとめ)

心が真理を喜び、迷いを離れた静寂な安らぎすらも執着せずに超越する人は、
自らの身体・感情・心・現象に対する深い観察(四念処)を楽しみ、
さらに覚りへ向かう七つの実践(七覚支)を尊びながら修行を進めていく。
その姿は、内なる静けさと、超然とした自由の調和を体現するものである。


💡 解釈と現代的意義

この章句は、「修行の完成形」に近い理想の心の状態を描いています。
学びや実践を楽しむだけでなく、得た安らぎにすら執着しない――そこに、真の自由と智慧があると説かれています。

現代においても、成果や快適さに執着せずに学び続ける心
内面の観察を楽しみとする生き方は、ストレスや混乱を超えて、
精神的に成熟した人間の在り方を示唆してくれます。


🏢 ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈・適用例
学びと成長の姿勢結果や称賛に固執せず、学びや内省のプロセス自体を喜ぶことで、本質的な成長が進む。
リーダーの安定感成果や支配への執着を手放し、組織の動きや人間心理に気づきを持って接することで、内的静けさを保てる。
セルフマネジメント外部の刺激に反応するのではなく、身体・感情・心を日々観察する習慣が、精神的バランスを築く。
成果主義の限界超え成果を追いながらも、それに執着しない自由な心こそ、創造力や柔軟な対応力の源泉となる。

✅ 心得まとめ

「道に在る者は、やすらぎすら手放し、ただ学びを喜ぶ。」

智慧ある者は、知識を得たことにも、成功を手にしたことにも執着せず、
それらを手段として用い、さらに深い自由と気づきへと歩みを進めます。
喜びとは、到達ではなく、歩むことそのものにある。
それがこの章句に示された、仏道の真髄です。


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