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愛執なき者は、憂いなき者


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📖 引用原文

それ故に、愛するものがいかなるかたちでも決して存在しない人々は、憂いを離れていて、楽しい。それ故に、憂いの無い境地を求めるならば、命あるものどもの世に、愛するものをつくるな。
——『ダンマパダ(法句経)』第5章 第四句


🧩 逐語訳

  • それ故に、愛するものがいかなるかたちでも決して存在しない人々は、
     どんな対象にも執着を持たない人は、
  • 憂いを離れていて、楽しい。
     心配や悲しみから解放され、穏やかで楽しく生きている。
  • それ故に、憂いの無い境地を求めるならば、
     もし本当に心の安らぎと平穏を求めるならば、
  • 命あるものどもの世に、愛するものをつくるな。
     この世の生きとし生けるものに対して、執着の心を育ててはならない。

🔍 用語解説

用語解説
愛するもの単なる情愛ではなく、「自分の一部」と感じるほどの強い執着の対象。
憂い心を乱す不安、喪失感、悲しみ。
境地内的な精神状態。ここでは「無憂=苦しみから解放された状態」。
命あるものどもの世この現実世界のすべての生きとし生けるもの。

🗣 全体の現代語訳(まとめ)

愛着をまったく持たない人は、執着による不安や悲しみから解放され、心安らかに生きることができる。
だからこそ、もし本当に「憂いのない心の境地」を求めるならば、生きとし生けるものに対して、執着をつくってはならない。
この句は、「愛すること」ではなく「執着すること」が、心の乱れの原因であると説いている。


🧠 解釈と現代的意義

この句は、前の三句の結論ともいえる教えであり、仏教の非執着(アパリグラハ)の精神を明確に語っています。
ただし注意すべきは、「冷たい人間になれ」という意味ではないということです。
「愛情や思いやりは持ちつつ、それにしがみつかない心の自由さ」を目指すというのがこの教えの核心です。
現代においては、「依存しない愛」「見返りを求めない奉仕」「変化を受け入れる柔軟性」が、この句の現代的な表現といえるでしょう。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
感情の安定プロジェクトの失敗や評価の低下に対して、「期待通りでなければならない」という執着がなければ、動揺せずに次へ進める。
人間関係同僚や部下に対して「こうしてほしい」「こうあるべき」という執着を捨てると、摩擦が減り、協働がスムーズになる。
経営判断数字・成功・市場評価への執着を離れた視点からこそ、本質的かつ柔軟な経営判断が可能となる。
人材育成部下を「自分の理想通りに育てる」という執着ではなく、「自発的な成長を見守る」姿勢が、長期的には成果につながる。

🧭 心得まとめ

「執着なき者は、動じない。動じない者は、深く楽しむ」

心が揺れるのは、「こうあるべき」「こうなってほしい」という執着があるからです。
その執着を持たなければ、誰かの言動、状況の変化、成功や失敗にも、心は平然としていられます。
心を縛るのは、いつも自分自身の執着です。
それを静かに手放すとき、人生ははじめて「楽しい」ものになるのです。


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