一、原文と現代語訳(逐語)
原文抄(聞書第八)
佐賀表相替る儀はこれなく候へども、不意はただ今の事も相知れず候故、士ども片時も油断仕らずなどと申すものにて候
…
山本神右衛門は、老後見舞の人に、「世上替る事はこれなきや」と尋ね候に、「無事に御座候」と取合ひ候へば、「無事は心もとなし」と申され候由なり。
現代語訳(逐語)
佐賀では何も変わったことはないが、何が起きるかは分からないものだ。
だからこそ、侍たちは片時も油断せず、常に備えている。
——こう言うのが、礼を尽くした応答というものだ。
また、私の父・神右衛門も、隠居後に来客から「無事です」と聞くと、
「無事は、かえって心もとないものだ」と語っていた。
二、用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
無事 | 変わりないこと、穏やかであること。本来は良い意味だが、ここでは“油断を生む言葉”として捉えられている。 |
心もとない | 不安で頼りない。ここでは「無事=警戒が薄れがちで危うい」という意味。 |
表(おもて) | 城下や政治の中心地の意。 |
不意 | 思いがけない出来事、突発的な事態。 |
三、全体の現代語訳(まとめ)
中野甚右衛門は、訪問者の「無事でございます」という返答に対し不快感を示し、
「無事だからこそ油断すべきではない」と強く語った。
平穏であるからこそ、思いがけないことが起きる可能性に備えておくべきだというのが、彼の教えである。
その精神は、息子である山本神右衛門にも引き継がれていた。
四、解釈と現代的意義
この章句は、戦国時代を生き抜いた武士の「実戦知」からくる戒めです。
現代にも通じるのは、**「平穏なときほど、変化への備えが必要」**という考え方です。
- 順調な時期は人の心を緩ませ、リスク感度を下げます。
- 「何も起きていない」という現実が、実はもっとも大きな落とし穴になる。
だからこそ、“無事を礼賛する”のではなく、**「無事の裏には常に“変化の芽”がある」**という緊張感が求められるのです。
五、ビジネスにおける解釈と適用(個別解説)
項目 | 解釈・適用例 |
---|---|
経営判断 | 業績が順調な時こそ、次のリスクや転換点を見据えた戦略構築が必要。 |
組織運営 | 問題が“起きていないように見える”状態が続くとき、隠れた課題や停滞のサインを見逃してはならない。 |
危機管理 | 災害・障害・スキャンダルは、何もない時ほど突発的に起きる。平時に備えを怠らない体制が強い組織を作る。 |
マインドセット | 「大丈夫です」ではなく、「何が起きても対応できる」準備ができているかを確認する習慣が重要。 |
六、補足:「礼儀」としての危機意識
甚右衛門が客人の返答を不快に感じたのは、単なる形式の問題ではなく、言葉に現れた姿勢への違和感です。
「無事です」と言ってしまうことの軽さ、
「何も起こらない」という無意識の前提。
それらは、現場や末端にいる者たちの**“気のゆるみ”につながるのです。
だからこそ、「油断なく備えております」といった“引き締まった言葉”が、武士としての構えを示す**とされたのです。
七、まとめ:この章句が伝えるメッセージ
- 平穏無事は、本当に“無事”なのではなく、“次の不意”の前兆かもしれない。
- 油断は、平和のなかから生まれる。
- 無事なときほど、備えを強く持ち、心をゆるめるな。
- 危機意識は、慎重さではなく、「覚悟ある礼儀」として表現されるべきものである。
目次
🔚現代への置き換え:
「無事のときこそ、備えを忘れるな。それが“平時の胆力”である」
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