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愛執を超えて、生存の根を絶つ者


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■引用原文(日本語訳)

この世の愛執を断ち切り、
出家して遍歴し、
愛執による生存を尽くした人――
かれを、われは〈バラモン〉と呼ぶ。

(『ダンマパダ』第416偈|第二六章「バラモン」)


■逐語訳と語義

  • Yo chindi:「断ち切った者」
  • Loke gehasitaṃ pemaṃ:「この世における家庭に執する愛執」
  • Anagāriyo:「出家した者(家を離れた修行者)」
  • Paribbajati:「遍歴者、修行の旅を続ける者」
  • Pemabhavaparikkhīṇo:「愛執によって維持される生存状態を尽くした者」
  • Tam ahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ:「そのような者を、私は〈バラモン〉と呼ぶ」

■用語解説

  • 愛執(pema):愛着・欲望・情欲など、心が対象に執着する心理状態。
  • 生存(bhava):輪廻的存在の在り方。「なりたい」「持ちたい」「あり続けたい」という欲望のエネルギー。
  • 愛執の生存(pema-bhava):愛欲を動機として生きること。自己中心的な「存在への執着」。
  • 出家して遍歴する者(anagāriyo paribbajati):世俗を捨てて、真理を求める修行者。これは比喩的に「執着から自由になった生き方」も示す。

■全体の現代語訳(まとめ)

この世に対する愛着――
特に家庭や人間関係への執着を断ち切り、
家を離れ、世間を離れて真理を求め、
愛執を動機とした生き方そのものを終えた人――
その人こそ、仏陀は〈バラモン〉と呼ぶ。


■解釈と現代的意義

この偈文では、「愛執」という仏教で最も深い煩悩の一つが主題となっています。
ただ単に「欲を減らす」のではなく、「存在そのものへの執着(生きていたい・持ち続けたいという本能)」をも終わらせるという、究極の放下が語られています。

これは仏教が目指す**「自己そのものの解体」**に向けた深い洞察です。
現代の私たちにとっても、常に「何かになりたい」「認められたい」「持ちたい」という衝動に駆られて生きることが、どれだけ心を縛っているかを考えさせられます。

この偈は、**「足ることを知り、求めることを終える」という成熟」**を象徴しているのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
エゴを超える行動「評価されたい」「勝ちたい」という動機を手放すと、誠実でぶれない行動ができる。
持たないことの強さモノ・肩書き・役割に依存せず、自らの原点に立ち返って行動できる。
執着なき経営判断感情や過去の成功体験への愛着を捨て、必要な時に必要な決断を下せる。
真に自由なリーダーシップ自己実現や支配ではなく、組織や社会のために最善を尽くせる「透明な存在」になる。

■心得まとめ

「求めることを終えたとき、人は本当に自由になる」

人は、
人を愛し、家を守り、
成功を求め、生き続けたいと願う。

だが――その「愛執」こそが、
ときに苦しみの根源となる。

持ちたい。なりたい。守りたい。
そうした思いを、静かに手放すとき、
人は「在ること」そのものの静けさに出会う。

それが、仏陀の言う〈バラモン〉の境地――
何にもとらわれず、真に自由な存在なのです。

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