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敵を見る前に、自らの戦いの意味を見極めよ


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■引用原文(日本語訳)

「私がこの戦おうとして布陣した人々を見て、
この合戦の企てにおいて、誰と戦うべきかを見るまで。」
―『バガヴァッド・ギーター』第1章 第22節


■逐語訳(一文ずつ)

  • 「私は、これから戦うべく布陣している彼ら(敵軍の人々)を見たい。
  • この戦争という行為において、
  • 自分が誰と戦うべきかを見極めるまでは。」

■用語解説

  • 布陣した人々:カウラヴァ側の軍勢。アルジュナにとっては敵軍だが、血縁・師・友人を含む複雑な顔ぶれ。
  • この合戦の企て(ユッダ・ウパプラプタム):戦争が戦略ではなく「画策されたもの」として捉えられており、単なる正義の戦いとは限らない含みがある。
  • 誰と戦うべきか:物理的な敵ではなく、「精神的・道徳的に戦うべき対象は誰なのか?」という問い。

■全体の現代語訳(まとめ)

アルジュナは、これから始まる戦争において「誰と戦うのか」を、自分の目で確認したいとクリシュナに告げる。それは、敵軍が単なる敵ではなく、恩人・親族・友人など「愛する者たち」でもあることを意味している。アルジュナは、戦う前に「この戦いは本当に意味があるのか」「戦う相手に正当性はあるのか」を見極めようとしている。


■解釈と現代的意義

この節は、アルジュナの「戦いへの違和感」や「道徳的な葛藤」の始まりを示しています。戦争という極限状態においてさえ、彼は盲目的に矢を放つのではなく、「本当に戦うべき相手か」を見極めようとする。この姿勢は、現代の私たちにとっても非常に重要な教訓です。

私たちは日々の競争や対立の中で、「相手が敵だから」と自動的に行動してしまいがちです。しかし、本当に問うべきは「これは正しい対立なのか」「戦うことで何が得られ、何を失うのか」です。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
対立前の見極め経営判断や競合対策を行う前に、「この争いは必要か」「本当に敵なのか」を見直す視点が重要。
道義的判断の重要性利益や戦略だけでなく、倫理・人間関係・信頼を含めた「戦うべき対象かどうか」の再評価が求められる。
自責と他責の整理外に向かって攻撃する前に、「本当に戦うべき課題は自分の内側にないか」と問うことが問題解決につながる。
慎重な合意形成意見の対立や組織変革においても、関係者をよく観察し、無用な対立を避ける姿勢がチームの安定に寄与する。

■心得まとめ

「誰と戦うかを問うことが、真の勇気である」
剣を抜く前に、相手の顔を見よ。その人は本当に敵か? 戦いは勢いや怒りで始めるものではない。アルジュナのように、心の中で問いを持ち、「戦うべき相手」と「戦ってはならぬ相手」とを分ける力こそが、真のリーダーの判断力である。


この節を機に、アルジュナの内面の葛藤は深まり、やがて武器を置くという決断へと進んでいきます。

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