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見えるものの奥に、見えざる本質を観よ


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■原文

無知な人々は、非顕現*である私を顕現したもの*と考える。不変であり至高である、私の最高の状態を知らないで。
(第7章・第24節)


■書き下し文

無知なる人々は、非顕現なる私を、顕現したものと見なす。不変であり至高なる私の真の姿を、彼らは知らない。


■現代語訳(逐語/一文ずつ)

  • 無知な人々は、非顕現である私を顕現したものと考える。
     → 真理に無知な人々は、姿なき至高者である私を、姿ある有限の存在と誤って捉える。
  • 不変であり至高である、私の最高の状態を知らないで。
     → 永遠で、変わることのない、最高の存在としての私の本質を理解していないのだ。

■用語解説

  • 無知な人々(アヴィッダンター):霊的知識に欠け、現象の奥にある真実を知らない者たち。
  • 非顕現(アヴィヤクタ):五感や心では捉えられない、形を持たぬ本質的な存在。
  • 顕現したもの(ヴィヤクタ):目に見え、形を持ち、限定された存在。
  • 不変(アヴィナシ):永遠で変化しない真理・本質。
  • 至高(パラム):最も高く、他に比するもののない絶対的存在。

■全体の現代語訳(まとめ)

真理を知らない人々は、私の本来の姿である非顕現の存在を、目に見える限定的なものと誤解している。彼らは、変わることのない私の至高の本質を知らない。


■解釈と現代的意義

この節は、「見えるもの」に惑わされて「本質」を見失う人間の盲点を指摘しています。クリシュナは、人々が彼をただの姿ある存在(神格化された人物)と捉え、その内奥にある至高なる真理を見抜けないことを嘆いています。

これは、「霊的盲目」に対する警鐘であり、表面的な理解から一歩踏み込み、本質的な洞察へと進むよう促しています。


■ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)

  • 表面的な情報に惑わされるな、本質を見極めよ
     → 数字、肩書、見た目などに惑わされず、その背後にある「理念」「信念」「背景」に目を向けるべきである。
     → 「非顕現を観る目を養え」
  • “ブランド”や“見せ方”に頼りすぎず、本物の価値を磨け
     → 外見的なアピールに偏ると、一時の顧客は得られても、永続的な信頼は得られない。
     → 「中身のある存在であれ」
  • 本質を掴む人材が組織の未来を創る
     → 現象の裏を読み、変化の中に不変を見出せる人こそ、時代を導く。
     → 「至高の視座を持つリーダーたれ」
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