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■引用原文(『ダンマパダ』第二一章 第二九五偈)
「妄愛」という母と、「われありという慢心」である父とをほろぼし、永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という二人の、学問を誇るバラモン王をほろぼし、第五には「疑い」という虎をほろぼして、バラモンは汚れなしにおもむく。
――『ダンマパダ』 第二一章 第二九五偈
■逐語訳(一文ずつ訳す)
- 「妄愛という母と、われありという慢心である父とをほろぼし」
――情的な執着(妄愛)と自我意識(慢心)を断ち、 - 「永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という二人の、学問を誇るバラモン王をほろぼし」
――存在に関する極端な誤った二つの見解(常見・断見)を、それがどれほど学識ある者の言葉であっても、見抜いて克服し、 - 「第五には『疑い』という虎をほろぼして」
――真理に対する懐疑心(疑)をも打ち砕き、 - 「バラモンは汚れなしにおもむく」
――そのように五つの根本的障害を除いた者は、清浄な道を進む真の聖者(バラモン)である。
■用語解説
- 妄愛(マーラ):
情欲・愛着などの感情的執念。感情の母とされる。 - 慢心(アハンカーラ):
自己の存在への過剰な執着。「われこそは」と思う傲慢さ。 - 常見と断見:
常見=「存在は永遠で不変」、断見=「死ねばすべてが無に帰す」とする誤った二元的見解。ともに仏教が否定する極端な思想。 - 学問を誇るバラモン王:
形式や知識に固執しながらも真理を見誤っている者の象徴。誤った知に依存する危険性を示す。 - 疑(ヴィッチキッチャー):
真理に対する根源的な疑念。「正しい道があるのか」「意味があるのか」といった迷いの根。 - 虎:
疑いの猛威・破壊力の象徴。不安と迷妄を呼び起こす存在。
■全体の現代語訳(まとめ)
執着と慢心を断ち、永遠不滅と完全消滅という二つの誤った世界観を超え、真理への疑いまでも乗り越えた者――彼こそが、汚れなき聖なる道を歩む者である。
学問に裏打ちされた思考でさえ、それが真理を見失っていれば、捨てるべきであると説く。これは「知識より智慧」、「執着より超越」を目指す教えである。
■解釈と現代的意義
この偈は、私たちが内面に抱える五つの障り(妄愛・慢心・常見・断見・疑)を明確に示し、それらを乗り越えることの重要性を説いています。
とりわけ現代社会においては、
- 感情的依存(妄愛)
- 自己肯定の暴走(慢心)
- 思考の極端化(常見・断見)
- 無目的化や無気力(疑)
などが、精神のバランスを崩す大きな原因となります。
この偈は、「自己の内なる虎(疑い)」をも見極め、超えてゆく勇気と覚醒を呼びかけているのです。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
感情への過剰依存の克服 | 「好き・嫌い」や「ノリ」で判断せず、感情に流されない冷静な意思決定が求められる。 |
自己過信からの脱却 | 実績に溺れず、自身の限界と過信の罠を認識し、継続的に学ぶ姿勢が成長を支える。 |
偏った価値観の見直し | 成果主義 vs 安定主義のような極端な見解ではなく、柔軟な価値判断と中道的バランスを重視する。 |
迷いや不安との向き合い方 | 「正解がないからやらない」ではなく、「やりながら答えを見つける」姿勢が、行動の推進力となる。 |
知識と行動の統合 | 学んだだけで満足せず、知を行動に変換してこそ、真の成果と信頼につながる。 |
■心得まとめ
「五つの煩悩を滅し、智慧の道を歩む者となれ」
親しき感情や自我を捨てよ。
知に頼るな、常識に縛られるな。
迷いに沈まず、歩みを止めるな。
五つの障りを滅した者にのみ、
清らかな道は拓かれる。
真に賢い者とは、知っている人ではなく、
乗り越えた人である。
この偈により、仏教における「内的戦い」の象徴構造がより明確になります。
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