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最大の火は欲望、最悪の災いは怒り――やすらぎこそ、最高の喜び


目次

■引用原文(日本語訳)

愛欲にひとしい火は存在しない。ばくちに負けるとしても、憎悪にひとしい不運は存在しない。
このかりそめの身にひとしい苦しみは存在しない。やすらぎにまさる楽しみは存在しない。

― 『ダンマパダ』 第十五章「楽しみ」 第202偈


■逐語訳

  • 愛欲にひとしい火は存在しない:欲望の炎に匹敵するほど激しく心を焼き尽くす火は存在しない。
  • ばくちに負けるとしても、憎悪にひとしい不運は存在しない:賭け事で負けるよりも、怒りや憎しみにとらわれる方がはるかに不幸である。
  • このかりそめの身にひとしい苦しみは存在しない:無常で病みやすく死にゆく肉体こそ、最大の苦しみの源である。
  • やすらぎにまさる楽しみは存在しない:煩悩を離れた心の平穏こそ、最上の楽しみである。

■用語解説

  • 愛欲(カーマ):官能的欲望、物質的欲求。仏教では「貪欲」として煩悩の中心とされる。
  • 憎悪(ドーサ):怒りや嫌悪。心の不安と対立の原因となる。
  • かりそめの身:無常で限定的な人間の身体。生老病死に支配される存在。
  • やすらぎ(ニッバーナ/涅槃):煩悩を超えた心の静寂と解放の境地。真の「楽しみ」の極致。

■全体現代語訳(まとめ)

欲望は、心を焼く激しい火のようである。
怒りは、たとえ賭け事で大敗したとしても、それ以上に不幸なものだ。
この身体は、老いと病と死に満ちた苦しみの源であり、
それらすべてを超えた「やすらぎ」だけが、真に比類なき喜びをもたらしてくれる。


■解釈と現代的意義

この偈は、人生における「三大苦(欲望・怒り・身体)」と「最高の幸福(やすらぎ)」の対比によって、仏教的な価値観を簡潔に説いています。
現代の私たちにとっても、終わりなき物欲や自己実現への焦り、怒りの連鎖、健康や老いへの不安は身近な苦悩です。
これらにとらわれていては、真の喜びや安心は得られません。
この偈は、「外に求めるのではなく、内にやすらぎを育てよ」というメッセージを、鮮烈な対比で伝えているのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈・応用例
物欲・成果主義との距離感昇進・報酬・所有に固執しすぎると、心は常に「足りなさ」に追われ、燃え尽きる。内面的満足が真の成果を導く。
感情のコントロール怒りや対立に巻き込まれず、沈着冷静な判断を下せるリーダーが組織を安定させる。
健康と働き方身体への過信や執着は、働き方を歪める。「かりそめの身」としての理解が、無理を防ぎ、持続可能な働き方を支える。
精神的ウェルビーイング外部環境に左右されない「やすらぎ」を養うことは、パフォーマンスだけでなく、人生全体の質を高める核心となる。

■心得まとめ(ビジネス視点)

「欲も怒りも肉体も超えて、やすらぎに生きる者が、本当の強さを持つ」

どれほどの成功を収めても、心が焼けるような欲望に支配され、怒りに翻弄され、身体の限界に縛られているなら、真の幸福とは言えません。
ブッダの示す「やすらぎ」とは、すべての外的条件を超えた内面的な自由と安定。
この境地に近づくことが、現代ビジネスにおいても、持続可能で誠実なリーダーシップの根幹となるのです。

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