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■引用原文(日本語訳)
私は帰結である。維持者である。主である。
目撃者である。住処である。寄る辺である。友人である。
本源であり、終末であり、維持である。
宝庫であり、不滅の種子である。
(『バガヴァッド・ギーター』第9章 第18節)
■逐語訳(一文ずつ訳す)
- 私は**帰結(結果/最終的な帰着点)**である。
- 私は**維持者(支える者)**である。
- 私は**主(支配者)**である。
- 私は**目撃者(すべてを見ている者)**である。
- 私は**住処(存在の安住地)**である。
- 私は**寄る辺(拠り所)**である。
- 私は**友人(心の伴侶)**である。
- 私は**始まり(本源)**であり、**終わり(終末)**であり、維持でもある。
- 私は**宝庫(豊かさの源)**であり、不滅の種子である。
■用語解説
- 帰結(ガティ):目的地、最終的な帰着点。魂が目指す先。
- 維持者(バーラータ):存在や秩序を保ち、支える働きを持つ神の側面。
- 主(プラブ):万物を治める存在。主権者。
- 目撃者(サークシー):善悪・行為・心を超越して見守る存在。
- 住処(ニヴァーサ)/寄る辺(シャラナム):精神的にも物理的にも帰る場所。
- 友人(スフリット):損得なしに見守る存在。神の慈愛を象徴。
- 宝庫(ニダーナ):すべてのものが生まれる源泉、または恵みの源。
- 不滅の種子(アヴヤヤ・ビージャ):宇宙や生命を生み出す永遠なる根。
■全体の現代語訳(まとめ)
私はすべての行きつく先であり、それを支える者であり、それを導く主である。
私はすべてを見守る目であり、魂の安らぐ場所であり、頼れる存在であり、
あなたの本当の友である。
私は万物の始まりであり、終わりであり、その存続を司る者でもある。
私はすべての富の源であり、朽ちることのない創造の種子である。
■解釈と現代的意義
この節は、神(バガヴァーン=クリシュナ)が、自身があらゆる存在の起点であり終点であり、見守る存在でもあることを示すものです。
我々が人生で出会う「始まり」「終わり」「安らぎ」「支え」「成長」「見守り」は、すべて神的な次元で一つに統合されている、という視点です。
現代人にとっては、変化や不安の多い日常の中で「一貫した信頼できる存在」があることを感じさせ、精神的安定と意味づけをもたらす教えといえるでしょう。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
ビジョンと目的 | 経営やプロジェクトの「帰結」を意識することで、行動に一貫性が生まれる。始まりと終わりの視野を持つ。 |
リーダーの姿勢 | 主でありながら、目撃者として部下を見守る。判断はするが、執着せずに寄り添う「友」であるべき。 |
信頼の基盤 | 組織の中で「拠り所」となるような存在(人、理念、文化)があることが、安定と持続可能性を生む。 |
永続する価値観 | 時代が変わっても失われない価値(不滅の種子)をビジネスに据えることで、長期的信頼を築ける。 |
■心得まとめ
「結果にも始まりにも、静かに寄り添う存在であれ」
真のリーダーやプロフェッショナルは、
目的に向かいながらもその過程を見守り、支え、
成果や損得にとらわれず、仲間にとっての「寄る辺」となる。
すべてを見守り、支える眼差しがあるとき、
その人自身が「不滅の種子」となり、未来を育む存在となる。
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