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“我”という矢を抜け、自由はそこから始まる


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📖引用原文(日本語訳)

人々は自我観念にたより、また他人という観念にとらわれている。
このことわりを或る人々は知らない。
実にかれらはそれを(身に刺さった)矢であるとは見なさない。
――『ダンマパダ』 第二七章「観察」第七節


🧩逐語訳

  • 自我観念にたより:自分という存在(私・我)を強固に信じ、それに執着する。
  • 他人という観念にとらわれ:他と自を区別し、比較や分離意識に囚われる。
  • このことわりを知らない:こうした自他への執着が苦の原因であるという法(ダンマ)を理解していない。
  • 矢であるとは見なさない:その執着が心を傷つけ、苦しめるものであると気づかない。

🧠用語解説

  • 自我観念(アハンカーラ):仏教では「アートマン(我)」の固定観念。無我(anattā)の教えと対立する執着。
  • 他人という観念:相対的な自己認識。他との比較・区別によって自己が成立していると錯覚すること。
  • 矢(サッラ):心に突き刺さり、苦しみをもたらす原因の比喩。ここでは「自他の観念」がそれにあたる。

🪷全体の現代語訳(まとめ)

人々は「私」という考えに強く依存し、同時に「他人」という存在と自分とを比較・対立させて生きている。
しかし、こうした“自他の観念”そのものが苦しみを生む矢であることに、多くの人は気づいていない。
それが痛みの根源であると理解せずに、生涯を通じてその矢を刺したまま過ごしてしまうのだ。


🌱解釈と現代的意義

この節が示すのは、苦しみの根本が「自己という思い込み」と「他者との比較」から来ているという深い洞察です。
私たちは「自分がどう見られるか」「他人より優れているか」にとらわれ、自らを苦しめる観念の矢を心に抱えて生きています。
しかし真理を知る者は、この「自と他」という観念そのものが幻想であることに気づき、その矢を抜く――すなわち、真の自由と安寧への道を歩み始めるのです。


💼ビジネスにおける解釈と適用

観点実務への応用例
競争と比較の呪縛同僚との比較や承認欲求に囚われると、成果は出ても心が疲弊する。自分の使命や成長に集中する方が健全。
肩書きへの執着「自分は〇〇であるべき」という肩書きへの執着が、柔軟性や新しい挑戦を妨げる。
チーム運営自他の区別を強調するリーダーは分断を生むが、共通の目的に焦点を当てるリーダーは統合を生む。
メンタルヘルス自他比較や評価への過剰な意識がストレスの原因となる。執着を緩める思考法が、心の安定を助ける。

📝心得まとめ

「“自分”と“他人”の境界にとらわれれば、心はその矢に傷つき続ける。真に自由な者は、その矢を静かに抜き取る」

「我とは何か」「他とは何か」という問いにこだわる限り、私たちは永遠に比較と執着の網に囚われます。
しかしその観念が苦しみの根源であると知ったとき、初めて「無我」――つまり本当の自由への道が開けるのです。
それは静かだが、最も深く力強い心の革命です。

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