徳・言葉・政治・文学、それぞれの道に光を放った人々
晩年の孔子が思い出すのは、かつての苦難を共にした優れた門弟たちだった。
陳と蔡の間で国難に遭い、食糧も尽きるほどの危機に見舞われた旅路――そこに随行した弟子たちの多くは、今や世を去り、官に仕え、あるいは郷里へと戻ってしまった。
孔子は、彼らを深い愛情と敬意をもって語る。
中でも特に優れた弟子たちは、後に「孔門の十哲」と称された。
- 徳行に秀でた者:顔淵(がんえん)、閔子騫(びんしけん)、冉伯牛(ぜんはくぎゅう)、仲弓(ちゅうきゅう)
- 言語に巧みな者:宰我(さいが)、子貢(しこう)
- 政事に強い者:冉有(ぜんゆう)、季路(子路・ころ)
- 文学に優れた者:子游(しゆう)、子夏(しか)
それぞれの分野で光る才をもちながら、師と共に困難を乗り越えた弟子たち。
孔子が彼らを「門に及ばざるなり(今はもう門にいない)」と嘆いたのは、別れの寂しさだけでなく、その志を継ぐ者が少なくなった現実への憂いでもあったのかもしれない。
引用(ふりがな付き)
子(し)曰(い)わく、我(われ)に陳蔡(ちんさい)に従(したが)いし者は、皆(みな)門(もん)に及(およ)ばざるなり。
徳行(とくこう)には顔淵(がんえん)・閔子騫(びんしけん)・冉伯牛(ぜんはくぎゅう)・仲弓(ちゅうきゅう)、
言語(げんご)には宰我(さいが)・子貢(しこう)、政事(せいじ)には冉有(ぜんゆう)・季路(ころ)、
文学(ぶんがく)には子游(しゆう)・子夏(しか)ありき。
注釈
- 陳蔡(ちんさい):孔子が六十四歳の頃に訪れた、現在の河南省近辺。諸侯の妨害に遭い、孔子一門が危機にさらされた地。
- 孔門の十哲:孔子の数多くの弟子の中でも特に優れた10人を、後世においてこのように称した。
- 門に及ばざるなり:直訳は「もう門人には及ばない」、つまり「すでに私の門から離れてしまった」という意味。
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