同じ問いに違う答え――孔子の教育は“人を見て法を説く”
子路(しろ)が孔子に尋ねた。
「良いことを聞いたら、すぐに実行すべきでしょうか?」
孔子はこう答えた。
「君には父兄がいる。どうして彼らの意見も聞かずに、すぐ行動してよいだろうか」
次に、冉有(ぜんゆう)が同じ質問をした。
「良いことを聞いたら、すぐに実行すべきでしょうか?」
孔子は今度はこう答えた。
「そうだ、すぐに行いなさい」
この違いに戸惑ったのが、公西華(こうせいか)である。彼は二人の回答の食い違いに迷い、孔子にたずねる。
「由(子路)さんには“すぐに行うな”と答え、求(冉有)さんには“すぐに行え”と答えられました。私は混乱しております。どうかお教えください」
孔子は、静かに、しかし明確にこう答える。
「冉有は、控えめで消極的な性格だ。だから私は、積極的に行動するよう励ました。
一方、子路は情熱的すぎて、時に人の分までやろうとするほどだ。だから私は、慎重さを教えたのだ」
性格に応じた導き――これこそ孔子の教育の核心である。
同じ問いに同じ答えを返すのではなく、“誰が問うたか”を見極めてこそ、言葉は生きる。
引用(ふりがな付き)
子路(しろ)問(と)う、「聞(き)けば斯(ここ)に諸(これ)を行(おこな)わんや」
子(し)曰(い)わく、「父兄(ふけい)の在(あ)る有(あ)り、之(これ)を如何(いかん)ぞ其(そ)れ聞(き)きて斯(こ)れを行(おこな)わんや」
冉有(ぜんゆう)問(と)う、「聞(き)けば斯に諸を行わんや」
子曰く、「聞(き)けば斯に之(これ)を行(おこな)え」
公西華(こうせいか)曰(い)わく、「赤(せき)や惑(まど)う。敢(あ)えて問(と)う」
子曰(い)わく、「求(きゅう)や退(しりぞ)く。故(ゆえ)に之(これ)を進(すす)む。由(ゆう)や人(ひと)を兼(か)ぬ。故に之を退(ひ)く」
注釈
- 子路(しろ):直情的で行動力のある弟子。慎重さに欠ける面がある。
- 冉有(ぜんゆう):やや消極的な性格。孔子は彼を励ます意図で積極性を促した。
- 公西華(こうせいか):年若く、素直な弟子。教えの“差異”に惑い、質問する姿勢は学びの本質を表す。
- 人を兼ぬ:自分の役割以上に他人のことまでしてしまう、行き過ぎる性格を指す。
- 退く:控えめ、慎重な性格。
1. 原文(整形)
子路問、聞斯行諸。子曰、有父兄在、如之何其聞斯行之。
冉有問、聞斯行諸。子曰、聞斯行之。
公西華曰、由也問聞斯行諸、子曰、有父兄在。求也問聞斯行諸、子曰、聞斯行之。赤也惑、敢問。
子曰、求也退、故進之。由也兼人、故退之。
2. 書き下し文
子路(しろ)問(と)う、「聞(き)けば斯(こ)れを行(おこな)わんや」。
子(し)曰(いわ)く、「父兄(ふけい)在(あ)り。之(これ)を如何(いかん)ぞ其(そ)れ聞きて斯(こ)れを行わんや」。
冉有(ぜんゆう)問う、「聞けば斯れを行わんや」。
子曰、「聞けば斯れを行え」。
公西華(こうせいか)曰(いわ)く、「由(ゆう)や、聞けば斯れを行わんやと問いて、子は曰く、父兄在りと。
求(きゅう)や、聞けば斯れを行わんやと問いて、子は曰く、聞けば斯れを行えと」。
赤(せき)や惑(まど)う。敢(あ)えて問う。
子曰、「求(きゅう)や退(しりぞ)く。故(ゆえ)に之を進(すす)む。由(ゆう)や人に兼(か)ぬ。故に之を退(しりぞ)く」。
3. 現代語訳(逐語・一文ずつ)
- 子路が「何か正しいと聞いたら、すぐに実行すべきですか?」と問う。
→ 孔子は言った:「父や兄がまだ健在であるのに、勝手に即座に行動してよいものか。」 - 冉有が同じく「聞けばすぐに行動すべきか」と問う。
→ 孔子は:「聞いたら行いなさい」と答える。 - 公西華が不思議に思い、「子路には『慎重に』と言い、冉有には『すぐにやれ』と言ったのはなぜか?」と問う。
- 弟子の赤(子貢)も混乱して、「理由を教えてください」と尋ねると──
- 孔子はこう説明する:
→ 「冉求(冉有)は慎重で控えめな人間だから、私は背中を押した。
→ 子路(由)は性急で行動力がありすぎる男だから、私はいったん引き止めたのだ。」
4. 用語解説
用語 | 意味 |
---|---|
子路(しろ) | 本名は仲由。熱血漢で行動派。猪突猛進の気質。 |
冉有(ぜんゆう)=求 | 冷静で控えめな性格。 |
公西華(こうせいか) | 冷静な観察眼を持つ弟子。記録者的役割。 |
子貢(しこう)=赤 | 弁舌巧みな理論派。頭脳明晰で常に核心を問う。 |
聞斯行諸(きけばこれをおこなうべきか) | 何か正しいと聞いたら、すぐ実行すべきか。 |
父兄在(ふけいあり) | 親族などに相談・配慮すべき立場であること。 |
退(しりぞ)く/進(すす)む | 慎重で消極的な者には背中を押し、進みすぎる者にはブレーキをかける。 |
兼人(けんじん) | 他人をしのぐ能力・気概を持つ人物。積極的でリーダー型。 |
5. 全体の現代語訳(まとめ)
子路が、「正しいと聞いたらすぐ行うべきですか」と尋ねた。
孔子は、「いや、君にはまだ父兄がいる。すぐ実行していいとは言えない」と答えた。
冉有が同じ質問をすると、孔子は「聞いたらすぐ行いなさい」と答えた。
公西華と子貢は疑問に思い、理由を尋ねた。
孔子は説明した:
「冉有は慎重で行動が遅れがちだから、背中を押した。
子路は突っ走る傾向があるから、いったん引き留めたのだ。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、孔子が弟子の性格に応じて“同じ質問に違う答え”をした場面です。
その核心は:
- 原則(正しい行い)は一つでも、その実行は人に応じて導くべき
- リーダー・教育者は、教えを“一律に与える”のではなく、“個性に合わせて導く”柔軟性が必要
孔子は「言うことが矛盾している」のではなく、“教える相手の性格”に応じて最適な指導法を選んだのです。
7. ビジネスにおける解釈と適用
❶「リーダーの教えは“公平”より“適応”である」
– 同じ原理原則でも、部下の性格・成熟度・傾向に応じて、伝え方や促し方を変えるのが本当のマネジメント。
❷「タイプに応じた指導法」
タイプ | 特徴 | 指導方針 |
---|---|---|
子路型(行動型) | 熱血・勢い型 | ブレーキをかけ、熟慮を促す |
冉有型(慎重型) | 思慮深く行動が遅い | 背中を押し、決断を促す |
❸「一律のマニュアル指導では育たない」
– 同じ評価基準・同じ方針では、誰かには響き、誰かには反発される。
– 孔子のように、“その人に合った言葉とタイミング”が育成の鍵。
8. ビジネス用心得タイトル
「同じ教えでも、伝え方は変えよ──“人に応じた導き”が育成の極意」
この章句は、教育・育成・リーダーシップにおける“個別最適化”の原点です。
「正しい行いは一つでも、人によってその実行の促し方は異なる」──
これを柔軟に、矛盾せずに行えるのが、成熟した指導者の資質です。
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