教え方の多様性
孟子は言いました。
「教える方法もさまざまです。たとえば、私が教え諭すことを潔しとせず、これを断ることも、また一つの教え方です。」
ここで孟子は、教える方法にはいろいろな形があり、その一つとして、あえて教えないことや断ることも、教えを伝えるための手段の一つであると教えています。時には、教えを受ける者がそれを理解し、反省するために、あえて教えを与えず、放置することが効果的な場合もあるということです。
孟子がこのように述べた背景には、相手に自己反省を促すことや、自分で考えさせることによって、その人がより深く学び、成長するという教え方の重要性が含まれています。
反省を促す方法としての「教えを断る」
孟子の言う「教えを断る」という方法は、相手に直接的な教えを与えることを拒否し、相手が自らの行動や考えを反省し、気づくように促すことです。このような方法は、相手に思考を促し、自分で問題に向き合わせるための手段として機能します。孔子の教えにも似たような例が見られ、時には教えないことこそが、最も有効な教え方であることを示唆しています。
原文と読み下し
孟子曰、敎亦多矣、予不屑之敎誨也者、是亦敎誨之而已矣。
孟子曰く、「教えも亦術多し。予之が教誨を屑しとせざる者も、是れ亦之を教誨するのみ。」
※注:
- 術多矣:教える方法が多様であること。
- 屑しとせざる:教えを拒む、または教えない。
- 教誨之而已矣:それもまた教えの一種であり、相手に対して教えを与えることに他ならないという意味。
パーマリンク案(英語スラッグ)
teaching-by-refusal
(教えることを断る)the-art-of-not-teaching
(教えないことの技)the-power-of-silence-in-teaching
(教えにおける沈黙の力)
この章では、教える方法にはさまざまな方法があり、時には「教えを断る」ことが最も効果的な方法であることを孟子が説いています。相手に自己反省を促し、自分で学ぶ力を高めるための手段として、教えを与えないことが有効であると伝えています。
『孟子』抜粋 ― 教誨と姿勢(離婁章句上)
1. 原文
孟子曰、教亦多矣、予不屑之教誨也者、是亦教誨之而已矣。
2. 書き下し文
孟子曰く、教えもまた多し。予、之を教誨するを屑(いと)わざる者も、是れまた之を教誨するのみ。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)
- 孟子は言った、「教育のやり方(教え方)には実に多くの方法がある」。
- 「私は、ある者を教える価値がないと見なして教えないような場合でも、
実際にはそれも一つの教え方であるのだ」と。
4. 用語解説
用語 | 意味 |
---|---|
教(きょう) | 教えること。教育、訓戒。 |
屑(いと)わざる | 嫌がる、価値がないとして軽んじること。 |
教誨(きょうかい) | 教えて諭すこと。教育と道徳的教化。 |
是亦(これまた) | これもまた、すなわち~も~である。 |
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孟子はこう語っている。
教育の方法にはさまざまある。私はある者を「教える価値がない」と見なして、あえて教えなかったとしても、
それは「教えないことによる教育」であり、言い換えれば**“教えないという態度で教えている”**のだ。
つまり、教育とは直接的な指導だけでなく、間接的な示唆や対応の仕方も含まれるという哲学が述べられている。
6. 解釈と現代的意義
この章句が伝える根本的なメッセージは:
- 「教育」とは方法ではなく態度や関わり方そのものである。
- たとえ直接的な指導をしなくても、「無視された」「相手にされなかった」こと自体が、その人への一つの教えとなる。
- 孟子は、“関わること/関わらないこと”のどちらもが教育的意義を持ちうると考えている。
現代においても、これは上司・先輩・親・教育者などが「教える」ときにどう接するかという大きな示唆を与えるものです。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
視点 | 解釈・適用 |
---|---|
マネジメント | 部下をあえて突き放す、黙って任せることも“教え”の一種。全てに口を出すのが教育とは限らない。 |
チーム運営 | フィードバックの「量」ではなく「質」が重要。必要なときに必要な教えを。無視されることもメッセージ。 |
自己教育 | 指導を受けられない環境でも、他者の態度から学べる意識が重要。 |
育成戦略 | 直接的に教えるばかりではなく、間接的な行動や環境づくりも人材育成の一部である。 |
8. ビジネス用の心得タイトル
「教えざるもまた教えなり――“距離”の中にある学び」
この章句は短く静かですが、**“教えるとは何か”**という本質を突いた深い知恵です。
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