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学ぼうとする姿勢があれば、教える側も応えるべき

孔子は、学びたいという意思を持って門を叩いた者には、必ず教えると語った。
それは、知識や徳が「求める者に開かれているべきだ」という、開かれた学びの精神を示している。
どんなに小さなきっかけであっても、学びの扉を自ら開いた人には、惜しみなく教える――
その姿勢にこそ、教育者としての孔子の真価がある。


原文・ふりがな付き引用

子(し)曰(い)わく、束脩(そくしゅう)を行(おこな)うより以上(いじょう)は、吾(われ)未(いま)だ嘗(かつ)て誨(おし)うる無(な)くんばあらんず。


注釈

  • 束脩(そくしゅう) … 干し肉を十本束ねたもの。学ぶ意思を示すための贈り物であり、入門の儀礼の象徴。
  • 行うより以上 … 形式にとらわれずとも、学びたいという誠意が伝わればそれでよいという意味も含む。
  • 誨うる無くんばあらんず … 教えなかったことはない、つまり必ず教えたという強い意思の表現。

1. 原文

子曰、自行束脩以上、吾未嘗無誨焉。


2. 書き下し文

子(し)曰(いわ)く、束脩(そくしゅう)を行(おこな)うより以上は、吾(われ)未(いま)だ嘗(かつ)て誨(おし)うる無(な)くんばあらんず。


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 「子曰く、束脩を行うより以上は」
     → 孔子は言った。「束脩(=礼物)を持参して門を叩いた者であれば」
  • 「吾未だ嘗て誨うる無くんばあらんず」
     → 「私は今まで一度も、教えないということをしたことがない。」

4. 用語解説

  • 束脩(そくしゅう):弟子入りの際に持参する礼物。干し肉十条分とされ、形式的・象徴的な入門の証。
  • 行う(おこなう):ここでは「贈る」「持参する」という意味。
  • 以上(いじょう):少なくともこの程度以上の意思表示をした者を指す。
  • 未嘗〜不(いまだ かつて〜ず):今まで一度も〜したことがない(=強い肯定)。
  • 誨う(おしう)る:教える、導く。
  • 無くんばあらんず:〜しないということがあっただろうか、いや必ず〜してきた(反語的強調)。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

孔子はこう言いました:
「礼物を持って弟子入りを申し出た者には、私は今まで教えなかったことなど一度もない。」


6. 解釈と現代的意義

この章句は、**「学びたいという意思を持つ者には、誰であれ教える」**という孔子の教育姿勢を明確に示しています。

  • 学力や身分を問わず、意志ある者には門戸を開く。
  • 最低限の礼儀(象徴的な贈り物)=学ぶ覚悟があれば、教える義務がある。

これは単なる「師弟関係」の話に留まらず、教育の民主性と真の教育者の責任を語っている章句です。


7. ビジネスにおける解釈と適用

■「学ぶ意思がある者に、惜しみなく教える」

──新人でも異業種からでも、自ら学ぼうとする姿勢があれば、教える責任を持つ。それが育成文化を育てる。

■「形式的な条件より、内なる覚悟を重視せよ」

──学歴・職歴よりも、自発的な努力・熱意・敬意の有無を育成対象とする判断基準にすべき。

■「教育は閉ざされた特権ではなく、開かれた責任」

──知識を囲い込むのではなく、求める者に惜しみなく与えることで、組織全体の底上げにつながる。

■「最低限のマナー・誠意が信頼を生む」

──束脩は形よりも**“礼を尽くす気持ち”の象徴**。対人関係や仕事依頼においても、最初の姿勢が信頼構築の鍵。


8. ビジネス用心得タイトル

「教える責任は“求める意志”に応じて始まる──学ぶ姿勢にこたえる育成力」


この章句は、人材育成・教育方針・チーム文化構築において、非常に重要な考え方を含んでいます。

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