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税は民の苦しみに寄り添ってこそ、仁政となる

徴税は制度の問題ではない。心の在り方の問題である

孟子は文公に、仁ある政治のためには、生活に直結する税制をこそ慎重に考えるべきと説いた。

賢君は、人には礼をもって接し、自分には慎み深くあり、民からの徴税にも限度と節度を設ける。
富を得ようとすれば仁に背き、仁を行えば私利は捨てねばならない――それが陽虎の言葉である。

歴代の制度はそれぞれ異なれど、いずれも十分の一課税が基本だった:

  • 夏后氏(かこうし):50畝に対し「貢(こう)」
  • 殷(いん):70畝に対し「助(じょ)」
  • 周(しゅう):100畝に対し「徹(てつ)」

これらはすべて「収穫の十分の一」を取る点では同じだが、重要なのは**「どのように」取るか**である。
とくに「貢」は、過去の平均収穫に基づき課税額を固定する制度であり、凶作の年にも容赦なく徴収される。

これでは、どれだけ懸命に働いても親すら養えず、やがて老幼は飢え死にし、溝や谷間に転がされる――
それが「民の父母」としての政治だろうか?

制度の合理性よりも、民の苦しみにどれだけ心を寄せられるか。
真の政治は、そこに仁のある徴税から始まる。


引用(ふりがな付き)

是(こ)の故(ゆえ)に賢君(けんくん)は必(かなら)ず恭倹(きょうけん)にして下(しも)を礼(れい)し、民(たみ)に取(と)るに制(せい)有(あ)り。

民(たみ)の父母(ふぼ)と為(な)りて、民(たみ)をして盻盻然(べいべいぜん)として、将(まさ)に終歳(しゅうさい)勤動(きんどう)するも、以(もっ)て其(そ)の父母(ふぼ)を養(やしな)うを得(え)ざらしむ。…悪(いずく)んぞ其(そ)の民(たみ)の父母(ふぼ)たるに在(あ)らんや。


簡単な注釈

  • 恭倹(きょうけん):うやうやしく人を敬い、自らは慎ましくあること。君主の徳の基本。
  • 貢・助・徹:いずれも農業に基づいた課税制度。「貢」は固定課税、「助」は労働提供、「徹」は収穫に応じて徴収する柔軟な方式。
  • 盈を取る:収穫に関係なく、あらかじめ決まった課税額を取ること。
  • 盻盻然(べいべいぜん):不満と羨望が入り交じった、民のやるせない表情・状態をあらわす言葉。

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この章は、現代における「社会保障」「課税と福祉の関係」に通じる孟子の先見性を感じさせる内容です。

1. 原文

是故賢君必恭儉禮下,取於民有制。
陽虎曰:「爲富不仁矣,爲仁不富矣。」
夏后氏五十而貢,殷人七十而助,周人百畝而徹。其實皆什一也。
徹者徹也,助者藉也。

龍子曰:「治地莫善於助,莫不善於貢。貢者校數歲之中以爲常。樂歲粒米狼戾,多取之而不爲虐,則寡取之。凶年糞其田而不足,則必取盈焉。」

爲民父母,使民盻盻然,將終歲勤動,不得以養其父母,又稱貸而益之,使老稚轉乎溝壑,惡在其爲民父母也!


2. 書き下し文

是の故に、賢君は必ず恭倹にして下を礼し、民に取るに制有り。
陽虎曰く、「富を為せば仁為らず。仁を為せば富まず」と。

夏后氏は五十にして貢し、殷人は七十にして助し、周人は百畝にして徹す。
その実は皆、什の一なり。徹とは徹なり。助とは藉なり。

龍子曰く、「地を治むるに、助より善きは莫く、貢より善からざるは莫し。
貢とは、数歳の中を校して以て常と為す。楽歳には粒米狼戻す。多く之を取るも虐と為さざれば、寡く之を取る。凶年には田に糞しても足らざれば、必ず盈を取る」と。

民の父母たる者が、民をして盻盻然として、終歳勤動するも、父母を養うこと得ず、
また称貸してこれを増し、老幼をして溝壑に転ぜしむ。
これいずくんぞ民の父母たるに在らんや。


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 「是故賢君必恭倹禮下,取於民有制」
     → だからこそ、賢明な君主は必ず謙虚・倹約であり、民を礼で遇し、民からの徴収には限度を設ける。
  • 「陽虎曰:為富不仁矣、為仁不富矣」
     → 陽虎は言った。「富を追えば仁に反し、仁を貫けば富まない」と。
  • 「夏后氏五十而貢……其實皆什一也」
     → 夏の時代は50畝ごとに税(貢)を徴収し、殷は70畝、周は100畝から徴収したが、実際にはどれも10分の1(什一)を取っていた。
  • 「徹者徹也、助者藉也」
     → 「徹」は収穫からそのまま取り上げる方式、「助」は貸付けてあとで回収する方式。
  • 「龍子曰……盈を取る」
     → 龍子は言った。「土地を治めるには“助”が最善で、貢は最悪だ。貢とは数年の平均収量をもとに定めるものであり、
     豊作なら多く取っても負担感はなく、凶作なら負担が重くなりすぎる。だから余剰を確保するために必ず多く徴収される。」
  • 「爲民父母……溝壑に轉ぜしむ」
     → 民の父母(=為政者)でありながら、民を疲弊させ、1年中働いても両親を養えず、さらに借金で生活を補い、
     結果として老人や子どもが溝や谷に転落するような悲惨な目に遭わせる。──そんな者が、どうして“民の父母”と呼べるだろうか?

4. 用語解説

  • 恭倹(きょうけん):謙虚で倹約なこと。君主の理想的な姿勢。
  • 什一(じゅういち):収穫の10分の1を税として納める制度。古代の標準的な課税率。
  • 徹・助:徹は「収穫物から直接取る税」、助は「貸与後に徴収する税」。
  • 陽虎(ようこ):戦国時代の政治家。孔子も警戒した人物。
  • 龍子(りゅうし):孟子が引く、土地税制に精通した人物。
  • 盻盻然(けいけいぜん):目が虚ろで疲れ切った様子。
  • 稱貸(しょうたい):借金。困窮の末、民がさらに負債を重ねること。
  • 溝壑(こうがく):谷や溝。飢えや病により倒れる場所の象徴。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

だからこそ、賢明な君主は慎ましく倹約であり、民を敬い、徴税には必ず限度を設ける。
陽虎は「富を求めれば仁を失い、仁を保てば富まず」と言った。

古代三代(夏・殷・周)それぞれで土地に応じた徴税方式が異なったが、実質的にはすべて収穫の10分の1を取っていた。

龍子は言った。「土地をうまく管理するには、貸与方式(助)が最も良い。貢(定率徴税)は良くない。
なぜなら、豊作の年には多く取っても問題ないが、凶作の年に同じように徴収すれば、民は耐えられなくなるからだ。」

そして、そうした政策が結果として民を疲弊させ、1年中働いても家族を養えず、借金を重ね、老若が路頭に迷う。
──これでは、どうして“民の父母”と呼べるのだろうか?


6. 解釈と現代的意義

この章句は、**「税と政策は“人間性”とともにあるべし」**という孟子の主張を、極めて明確に表しています。

  • 経済政策=“徴収する技術”ではなく“生活を守る配慮”
     数字や制度で一律に処理するのではなく、年ごとの事情・民の負担感を考慮すべき。
  • 真の政治とは、富を生むことではなく“民が生きられる土壌”を整えること
     為政者は、“いかに奪うか”ではなく“いかに育て守るか”を考えるべき。
  • 「民の父母」とは、庇護者・配慮者・先導者のこと
     名目ではなく、実質として「誰のために統治しているのか」が問われる。

7. ビジネスにおける解釈と適用

「数字の合理性が、現場の苦しみを見失わせる」

  • 利益最大化・生産性向上といったKPIが優先されすぎると、社員の暮らし・誇り・意欲が失われていく。
  • 規定の中に“柔軟な配慮”を組み込む姿勢が、健全な制度運用をつくる。

「上が“節度と礼”を守れば、下も信頼してついてくる」

  • 経営層が贅沢・浪費していれば、現場に緊縮を求めても説得力がない。
  • 倹約・節制・現場尊重こそが「恭倹礼下」の姿勢。

「制度は“例外時”にこそ真価が問われる」

  • 不況、自然災害、病気、家庭事情──このような状況下で“融通のきく制度”を準備しておけるかが、組織の信頼を決める。
  • 凶年に「どう取らずに済ませるか」が、リーダーの力量。

8. ビジネス用心得タイトル

「人を守る制度か、人を追い込む制度か──リーダーの仁が現れる」


この章句は、経済・行政・経営いずれにも通ずる「制度設計と人間性の両立」について深い示唆を与えます。

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