― 善を求めるなら、まず善き環境を整えよ
孟子は、宋の臣・戴不勝(たいふしょう)に問いかける。
「あなたは、あなたの王が善良になることを望みますか?」
そして、たとえ話で説明を始める。
ある楚の大夫が、自分の子に斉の言葉を学ばせたいと思ったとしよう。教師として楚人と斉人、どちらをつけるかと聞けば、多くは斉人を選ぶ。
しかし、その子のまわりを楚人ばかりが囲み、楚語を話していれば、いくら斉人の先生が教えても、斉語は身につかない。
逆に、その子を斉の文化が色濃く残る荘や嶽の地に数年住まわせれば、たとえ楚語を強制しようとしても、自然と斉語を話すようになる。
「日に撻(むちう)って楚の言葉を話させようとしても、得べからず」
このたとえを政治に重ね、孟子は語る。
もし王のそばにいる人々が皆、善良な人であったなら、王が不善に走る相手はどこにもいない。
だが、もし不善なる者ばかりが側近であったなら、王は善をともにする相手を失い、道を踏み外すことになる。
たった一人の善人――たとえば薛居州(せつきょしゅう)のような人物――を王のそばに置いたとしても、彼一人では何も変えられない。
王の徳を育むためには、長幼・上下すべての人々が善なる者であるよう、環境そのものを善で満たす必要があるのだ。
原文(ふりがな付き引用)
「一薛居州(いち せつきょしゅう)、独(ひと)り宋王を如何(いかん)せん」
― たった一人の善人では、王を正しく導くことはできない
注釈
- 傅(ふ)…子に付き添って教え育てる者。師や教育係。
- 斉語(せいご)…文化的中心地・斉の言葉。当時は準標準語とされていた。
- 咻(しゅう)…にぎやかに話すさま。楚人が周囲で騒がしく楚語を話す環境。
- 薛居州(せつきょしゅう)…善良な士として登場する実在または象徴的な人物。
- 長幼卑尊(ちょうようひそん)…年齢や身分にかかわらず、あらゆる人々のこと。
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(善き人々をそばに置け)virtue-needs-environment
(徳は環境に宿る)one-good-man-is-not-enough
(一人の善人では足りない)
この章は、「人は環境によって作られる」という孟子の深い人間理解を示しています。
リーダーの徳を育てるには、制度や教育以上に、日々接する人間の質が決定的に重要であることを、孟子は明確に説いています。
1. 原文
孟子、謂戴不勝曰、子欲子之王之善與、我明告子。
有楚大夫於此、欲其子之齊語也、則使齊人傳諸、使楚人傳諸。
曰、使齊人傳之。曰、一齊人傳之、衆楚人咻之、雖日撻而求其齊也、不可得矣。
引而置之荘・嶽之間數年、雖日撻而求其楚、亦不可得矣。
子謂薛居州善士也、使之居於王所。
在於王所者、長幼卑尊、皆薛居州也、王誰與為不善。
在王所者、長幼卑尊、皆非薛居州也、王誰與為善。
一薛居州、獨如宋王何。
2. 書き下し文
孟子、戴不勝(たいふしょう)に謂いて曰く、
「子は、その王を善ならしめんことを欲するか。我、明らかに子に告げん。
ここに楚の大夫ありて、その子をして斉の言語を習わしめんと欲す。
斉人をして教えしめんか、楚人をして教えしめんか。」
曰く、「斉人をして教えしむべし。」
曰く、「斉人一人をもって教えしむといえども、
多くの楚人がその子を取り囲み、楚語を用い咻(さけ)べば、
日々鞭打って斉語を習わせようとしても、習得することはできない。
逆にその子を斉の荘や嶽の地方に数年間置けば、
今度は日々鞭打って楚語を習わせようとしても、もう無理だろう。」
「そなたは薛居州(せつきょしゅう)を善士とするという。
彼を王のもとに置いたとして、王の周囲にいる者が長幼・卑尊みな薛居州のような者なら、
王は一体誰と共に不善をなすことができようか。
逆に、王のまわりにいる者がみな薛居州でないならば、
王は一体誰と共に善をなすことができようか。
たった一人の薛居州だけで、宋王をどうにかできるものか。」
3. 現代語訳(逐語)
子欲子之王之善與、我明告子。
「あなたは王が善政を行うことを望んでいるのか?それなら私がはっきり教えよう。」
楚大夫欲其子齊語…使齊人傳諸、使楚人傳諸。
「楚のある大夫が自分の子に斉国の言葉を覚えさせたいと考えたとして、
斉人に教えさせるべきか、楚人に教えさせるべきか?」
一齊人傳之、衆楚人咻之、雖日撻而求其齊也、不可得矣。
「斉人が一人で教えても、周囲の楚人が皆騒がしく楚語を使っていたら、
どれほど毎日むち打って斉語を覚えさせようとしても、無理だ。」
置之荘・嶽之間數年、雖日撻而求其楚、亦不可得矣。
「逆にその子を斉の地域に何年も置けば、今度はどれほど鞭打って楚語を覚えさせようとしても無理だ。」
**王の側近が皆善人なら、王は悪事を共に働けない。逆に皆が不善な者なら、善行を共にできない。
一人だけの善人がいても、王を善に導くことは難しい。」
4. 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
齊語 | 斉国の言語(文化)。楚語とは異なる。 |
傳(でん) | 教える。伝える。 |
咻(しゅう) | 騒がしく話す、干渉する。 |
荘・嶽 | 斉の地名。文化圏の違いを示すための例。 |
薛居州 | 孟子が「善士」として挙げた人物。 |
仕(つか)える | 君主に仕官すること。 |
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孟子は戴不勝にこう説いた。
「あなたは自国の王に善政を行ってほしいと思っているようだが、それなら明確に教えよう。
たとえば楚の大夫が、自分の子に斉の言葉を覚えさせたいと思ったら、
誰に教えさせるべきか?斉人か楚人か?」
当然、斉人だ。しかし一人の斉人が教えても、周囲の楚人が騒ぎ立てて楚語を使い続けていたら、
どれほど厳しく教育しても、斉語を覚えるのは無理だ。
逆に斉に何年も暮らせば、今度は楚語を忘れてしまうだろう。
このように、環境こそが人を形づくる。
たとえ一人の善人(薛居州)を王のもとに仕えさせたとしても、
周囲の臣下がすべて不善であれば、王を変えることはできない。
周囲の人間を総じて善人に変えなければ、王は善政を行えないのだ。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「環境が人間を作る」**という教育・政治・リーダーシップにおける根本的な視点を提示しています。
- 個人の力では組織やトップの方向は変えられない。一人の「善人」が優れていても、周囲の環境が不善であれば力を発揮できない。
- 逆に、環境が整えば、人は自然とよき方向へと成長していく。
→ 文化や風土が人格や政策を左右するという孟子の洞察が光ります。
7. ビジネスにおける解釈と適用
① 「善き人材一人」では変革できない
優秀な人を一人採用しただけで組織が変わることはない。
文化や仕組み全体を変えなければ意味がない。
② 「育成より“場づくり”」
人材育成とは、個人に対してスキルを教えることだけでなく、
周囲の環境(言語・文化・風土)を整えることが最重要である。
③ 「トップを変えたければ、側近を変えよ」
経営者・リーダーの行動が変わらないのは、
周囲が変わっていないから。信頼すべき側近・チームを整えることが、
トップを動かすための鍵。
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