高位高官たちが、礼服や冠(衮冕)を身にまとって行進している中に、
藜(あかざ)の杖をついた一人の隠者(山人)が加わると、
その場に凛とした高風(こうふう)=品格ある趣が一段と引き立つ。
一方で、漁師や木こりが行き交う田舎道に、礼服を着た役人(朝士)が一人現れると、
その姿がかえって場にそぐわず、俗っぽさ(俗気)を増してしまう。
このような対比から明らかなように、
どれほど華美で濃厚なものでも、淡泊で素朴なものに及ばず、
どれほど格式があっても、俗なるものは風雅に敵わない。
「濃」は一瞬の輝きであり、
「淡」は長く残る品である。
引用(ふりがな付き)
衮冕(こんべん)の行中(こうちゅう)、一(ひと)りの藜杖(れいじょう)の山人(さんじん)を着(くわ)うれば、
便(すなわ)ち一段(いちだん)の高風(こうふう)を増(ま)す。
漁樵(ぎょしょう)の路上(ろじょう)、一(ひと)りの衮衣(こんい)の朝士(ちょうし)を着えば、
転(うた)た許多(ここ)の俗気(ぞっき)を添(そ)う。
固(まこと)に知(し)る、濃(こ)きは淡(たん)に勝(まさ)らず、俗(ぞく)は雅(が)に如(し)かざるを。
注釈
- 衮冕(こんべん):高位高官の正装。格式を極めた衣装。
- 藜杖の山人(れいじょうのさんじん):あかざの杖を持つ隠者。質素で仙人のような存在。
- 漁樵(ぎょしょう):漁師と木こり。自然のなかで暮らす庶民の象徴。
- 朝士(ちょうし):役人、官人。朝廷に仕える人。
- 高風(こうふう):高尚な趣、気品、風格。
- 俗気(ぞっき):下品で浅はかな印象。浮ついた気配。
- 濃(こい):華美で目立つもの。技巧や派手さ。
- 淡(あっさり):控えめで素朴なもの。品格の象徴。
- 雅(みやび):洗練されて風情あるもの。風雅。
関連思想と補足
- 『菜根譚』では一貫して「淡中の趣は真にして長く、濃厚なものはすぐに飽きられる」といった思想が繰り返される(前集34条など)。
- 美や価値は「外見の煌びやかさではなく、控えめな中に真価がある」という、東洋的美学の典型。
- 現代の価値観にも通じ、「ミニマリズム」「静かな贅沢」「控えめな気品」などの概念と一致する。
原文
衮冕行中、着一藜杖山人、增一段高風。
漁樵路上、着一衮衣朝士、轉添許多俗氣。
固知、濃不如淡、俗不如雅也。
書き下し文
衮冕(こんべん)の行中に、一の藜杖(れいじょう)の山人を着くれば、すなわち一段の高風(こうふう)を増す。
漁樵(ぎょしょう)の路上に、一の衮衣(こんい)の朝士を着くれば、転(うたた)許多の俗気を添う。
固(まこと)に知る、濃は淡に如かず、俗は雅に如かざるを。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
「衮冕の行中に、一の藜杖の山人を着くれば、すなわち一段の高風を増す」
→ 威儀を整えた官人たちが並ぶ行列の中に、粗末な杖を持った一人の山中の隠者が加わると、その場の品格は一層高まる。
「漁樵の路上に、一の衮衣の朝士を着くれば、転許多の俗気を添う」
→ 素朴な漁師や樵夫の道に、官位ある立派な服を着た朝廷の人間が加わると、逆に俗っぽさが増してしまう。
「固に知る、濃は淡に如かず、俗は雅に如かざるを」
→ つくづく思う。派手なものはあっさりとしたものに劣り、俗っぽいものは気品あるものには及ばないのだと。
用語解説
- 衮冕(こんべん):高位の官人が着る礼装。格式を表す服装。
- 藜杖(れいじょう):藜(あかざ)という草で作った質素な杖。隠者や俗世を離れた者の象徴。
- 山人(さんじん):山に隠棲する人物。清貧・高潔な人物像。
- 漁樵(ぎょしょう):漁師や木こり。自然と共に暮らす庶民の象徴。
- 朝士(ちょうし):朝廷に仕える文官。地位と権威の象徴。
- 高風(こうふう):高潔な風格。精神的な品位。
- 俗気(ぞっき):俗っぽさ、軽薄さ。品のなさ。
- 濃(のう):華美、派手さ。
- 淡(たん):簡素、素朴。
- 雅(が):優雅・気品。
- 俗(ぞく):俗っぽさ・下品さ。
全体の現代語訳(まとめ)
高位の官人たちの行列の中に、質素な杖を持った隠者が一人加わると、その場の風格はいっそう高まる。
反対に、漁師や木こりの素朴な道に、官位の人間が加わると、場が一気に俗っぽくなってしまう。
こうしてはっきりとわかる。派手さは質素さに及ばず、俗っぽさは優雅さに敵わないのだ。
解釈と現代的意義
この章句は、「本質的な品格や気品は、表面的な格式よりも力を持つ」という逆説的な価値観を表しています。
- 高位の官人たちの中に現れる隠者は、精神性と自由さによってその場を引き締める。
- 一方で、質素で自然な場に無理やり格式ばった人物が入ると、却って場の品位を下げてしまう。
この対比によって、「本物の品格とは、立場や肩書ではなく、人間の在り方に宿る」ことを説いています。
華美(濃)よりも淡泊(淡)、俗(俗)よりも雅(雅)。これは、東洋思想に通じる“中庸”と“無為自然”の美学とも言えます。
ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
1. 形式や肩書きよりも“人格と行動”が信頼を生む
格式やブランドを振りかざすよりも、地味でも信頼を勝ち得る人の方が、組織には必要です。
例えば、現場の地道な実務者が、会議で一言発した言葉の方が、役職者の空疎な演説より重く感じられることがあります。
2. 過度な演出は、場のバランスを壊す
素朴な会合や意見交換の場に、威圧的なスーツや肩書きを持ち込むと、自由な議論を妨げてしまうことも。
場にふさわしい“空気感”を読み、TPOに即した振る舞いができる人材が重宝されます。
3. “簡素な誠意”が“過剰な演出”に勝る
わかりやすい資料や口調、そして“ありのままの提案”こそが、顧客や取引先の心に届きます。
押し付けがましいアピールよりも、控えめで誠実な態度が、信頼と共感を呼ぶのです。
ビジネス用の心得タイトル
「濃より淡、肩書より品格──本質が光を放つ場を築け」
この章句は、「本物」とは何かを私たちに問い直させる力を持っています。
肩書・装飾・演出を削ぎ落とした先に残る「人としての重み」こそが、組織や社会の空気を変えるのです。
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