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微細な煩悩すらも落とし尽くし、透き通るように清らかであれ


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■引用原文(日本語訳)

芥子粒が錐の尖端から落ちたように、
愛着と憎悪と慢心と隠し立てが脱け落ちた人――
その人を、私は〈バラモン〉と呼ぶ。

(『ダンマパダ』第407偈|第二六章「バラモン」)


■逐語訳

  • Yassa rāgo ca doso ca:その人においては、愛欲(ラーカ)も怒り(ドーサ)も
  • Māno makkho ca pātubhū:慢心(マーナ)や隠しごと(マッカ)も
  • Sūcipātipatitaṃ sāsapaṃ iva:錐の先から落ちる芥子のように滑り落ちる
  • Tam ahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ:そのような人を、私は〈バラモン〉と呼ぶ

■用語解説

  • 芥子粒(sāsapaṃ):きわめて小さなもの、微細な煩悩の象徴。
  • 錐の尖端(sūcipāti):非常に鋭く小さい場所=わずかな隙間でも執着がとどまれないことの比喩。
  • 愛著(rāga):対象への欲望・執着心。
  • 憎悪(dosa):嫌悪・怒り・敵意。
  • 慢心(māna):優越感・自己評価の高さ。
  • 隠し立て(makkha):過ちや真実を隠す態度、偽り・欺瞞。

■全体の現代語訳(まとめ)

まるで芥子粒が鋭い錐の先から滑り落ちるように、
その人の心からは、愛着も怒りも、慢心も欺きも――
すべてが残らず落ちきっている。
そのような、微細な煩悩すら抱かぬ澄みきった存在こそ、
仏陀は〈バラモン〉と呼ぶ。


■解釈と現代的意義

この偈は、外面的な行動以上に、内面的な清らかさの徹底を説いています。
「わずかな怒り」「ちょっとした見栄」「心の奥の嫉妬」――それらは芥子粒のように小さくとも、
心の澄明を妨げる重大な障壁となるのです。

この偈の教えは、単に「怒らない・欲しがらない」だけでなく、
心の底にある微細な執着にまで光を当てて、自覚し、脱落させよという厳しさと深さを持っています。
それこそが、真の成熟であり、覚者の境地なのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
内面の誠実性たとえ表面が穏やかでも、内心に怒りや蔑みを抱えていれば、それは言葉や空気ににじみ出る。誠実さは内面から。
自己省察の深さ微細な傲慢・独りよがり・評価への依存に気づき、それらを見つめて手放す習慣が、長期的信頼を築く。
透明な信頼関係隠し立てやごまかしをせず、オープンな姿勢で関わることで、安心感と共感を生む職場ができる。
成熟したリーダー像心の雑音が減ることで、感情に左右されず、冷静で信頼される判断が可能になる。

■心得まとめ

「微細な煩悩すら、心から滑り落とせ」
わずかな怒り、ほんの少しの見栄、
つい抱いてしまう嫉妬や言い訳――
それらをも見逃さず、
ひとつひとつ手放し、心を磨いていく。
まるで芥子粒が錐の先から転がり落ちるように、
何も留まらぬ澄んだ心で在ること。
その境地に至ったとき、
あなたはすでに、〈バラモン〉という静かな強さを体現しているのです。

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