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易経は未来を知るためではなく、自分を正すためにある

孔子は、「もし私にあと数年の命があるなら、易経を学びたい。そうすれば、大きな過ちを犯さずに済むだろう」と語った。
これは、いわゆる“占い”としての易経に対する軽視ではなく、むしろそこに宿る深い人生訓・哲理を重んじた発言である。
易経は単に吉凶を占うものではなく、人の変化、自然の理(ことわり)、心の在り方を映す書として、孔子にとって学ぶに値する対象だった。
未来を知ろうとすることよりも、「自分の行いを見直し、誤らぬように生きる」ために、学ぶ価値があると考えたのである。


原文・ふりがな付き引用

子(し)曰(い)わく、我(わ)に数年(すうねん)を加(くわ)え、五十(ごじゅう)にして以(もっ)て易(えき)を学(まな)べば、以(もっ)て大過(たいか)無(な)し。


注釈

  • 数年を加え … 自分にもう少し時間(寿命)があればという願い。
  • 五十にして学ぶ … 老境に差しかかっても学びたいほどの価値があるという意味。あるいは、「学び終えるまでに」という解釈もある。
  • 易(えき) … 易経。占いや運命の書としてだけでなく、自然や人間の変化を読み解く哲学書として孔子は重視した。
  • 大過無し … 大きな失敗や過ちを避けることができる、という自信と戒め。
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