貞観十九年の高句麗遠征において、太宗に従った江夏王・李道宗と李勣は、先鋒として蓋牟城を攻め落とした。
その直後、敵の援軍が大挙して到着するも、唐軍内では「太宗の到着を待ってから進もう」という慎重論が広がった。
しかし、道宗はこれに真っ向から反対した。
「敵は遠路を急いで来たばかりで疲労困憊している。しかも数を頼みにして油断している今こそ好機。
私は先鋒を任されているのだから、陛下が到着する前にこの敵を掃討しておくべきだ。
昔、後漢の耿弇も光武帝を待たずに敵を破ったではないか」
李勣も賛同し、二人は果敢に攻撃を仕掛け、大いに敵を破った。
太宗はその戦功を深く讃え、戦傷を負った道宗には自ら治療を施し、食事を賜るほどに労った。
好機とは、長くは待ってくれない。
疲れた敵、油断する敵――その刹那の隙を突いて動ける者こそ、真の将である。
決断とは、時に待つよりも、進む勇気に宿る。
■引用(ふりがな付き)
「我(われ)職(しょく)を先鋒(せんぽう)に在(あ)ずる者(もの)として、まさに須(すべか)らく掃(はら)いて以(もっ)て輿駕(よが)を待(ま)つべし」
■注釈
- 蓋牟城(がいぼうじょう):高句麗の拠点の一つ。現在の遼寧省東部にあったとされる。
- 耿弇(こうえん):後漢の名将。帝の到着を待たずに、好機を逃さず敵を破ったことで知られる。
- 輿駕(よが):天子の乗り物、転じて皇帝自身。
- 驍勇(ぎょうゆう):勇猛で腕の立つ兵士。
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