「動かぬ心が真の力──誘惑と称賛に揺れぬ軸を持て」
― 四十にして心、動かず ―
弟子の公孫丑は、孟子の政治的資質に敬意を示しつつ、こう問うた。
「もし先生が斉の卿相(宰相)となり、正しい道を行えば、斉王を覇者にも王者にも導けるでしょう。
ですが、それほど重大な責任を負うことになれば、先生といえども心が動揺するのではありませんか?」
孟子はきっぱりと答える。
「否。我(われ)、四十にして心を動かさず」。
これを聞いて公孫丑は驚き、さらに言った。
「それほどの心の落ち着きがあれば、先生は昔の勇士・孟賁(もうほん)にも勝るのではありませんか?」
孟子はそれに対して冷静に返す。
「それほど大したことではない。あの告子でさえ、私よりも先に“心を動かさない”ことができていたのだから」。
孟子のこの言葉は、単なる勇気や冷静さを超えた「心の自己制御」こそが、リーダーの器としての土台であることを物語る。
“覇王にもなれる”ほどの機会や力を前にしてもなお動じない――そこには、**道と志によって鍛えられた「成熟した心」**がある。
原文(ふりがな付き引用)
「公孫丑(こうそんちゅう)問(と)うて曰(いわ)く、夫子(ふうし)斉(せい)の卿相(けいしょう)に加(くわ)わり、道(みち)を行(おこな)うことを得(え)ば、此(こ)れに由(よ)りて覇王(はおう)たらしむと雖(いえど)も異(こと)しまず。
此(こ)の如(ごと)くんば則(すなわ)ち心(こころ)を動(うご)かすや否(いな)や。
孟子(もうし)曰(いわ)く、否(いな)。我(われ)四十(しじゅう)にして心を動かさず。
曰く、是(こ)の若(ごと)くんば則(すなわ)ち夫子(ふうし)孟賁(もうほん)に過(す)ぐること遠(とお)し。
曰く、是(こ)れ難(かた)からず。告子(こうし)は我に先(さき)だちて心を動かさず。」
注釈(簡潔版)
- 卿相(けいしょう):君主を補佐する最高位の官職(宰相)。
- 心を動かさず:感情や欲望、恐れに惑わされず、平常心を保つこと。孔子の「四十にして惑わず」に通じる。
- 孟賁(もうほん):古代中国の有名な武勇の士。肉体的勇気の象徴。
- 告子(こうし):孟子と思想的に対立した人物。論敵でありながら、ここでは彼の心の平静を一目置いている。
この章は、リーダーシップにおける「外の力に左右されない心の安定」の重要性を端的に表しています。
それは武勇の勇ではなく、「道を信じ、状況を超える勇」――孟子が体現した“静かな強さ”です。
原文
公孫丑問曰、夫子加齊之卿相、得行道、焉雖由此霸王不異矣、如此則動心否乎。
孟子曰、否、我四十不動心。
曰、若是則夫子過孟賁遠矣。
曰、是不難、告子先我不動心。
書き下し文
公孫丑、問うて曰く、夫子、斉の卿相に加わり、道を行うことを得ば、これに由りて覇王たらしむと雖も異なること無し。
この如くんば、すなわち心を動かすか、否か。
孟子、曰く、否。我れ四十にして心を動かさず。
曰く、是の如くんば、すなわち夫子、孟賁に過ぐること遠し。
曰く、是れ難からず。告子は我に先だちて心を動かさず。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 公孫丑が問うた。「先生がもし斉の宰相となり、理想の道を実現できたとしたら、たちまち覇王になるでしょう。そうなれば、心は動かされるのではありませんか?」
- 孟子は答えた。「いや、私は四十歳のときにはもう心が動じなくなった。」
- 公孫丑は言った。「それならば、先生は武勇で有名な孟賁(もうほん)をはるかに超えていますね。」
- 孟子は言った。「それほど難しいことではない。告子は私より先に心を動かさぬようになっていた。」
用語解説
- 卿相(けいしょう):国家の高位官職。宰相(政務の最高責任者)に相当。
- 覇王(はおう):諸侯の上に立つ強大な王者。覇道をもって世を治める存在。
- 動心(どうしん):心を揺さぶられること。欲や感情によって揺れること。
- 四十不動心:四十歳になった時、外的なものに心を乱されることがなくなったという孟子の自己申告。
- 孟賁(もうほん):古代中国の伝説的な豪傑。勇力に優れる人物。
- 告子(こくし):孟子と論争を繰り広げた儒学者。心の性質について論じたことで知られる。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
公孫丑が孟子に尋ねた。「先生がもし斉の宰相となって理想の政治を行えたとしたら、たちまち覇王になれるでしょう。それほどの境遇になったら、心は動かされませんか?」
孟子はきっぱりと答えた。「いいえ。私は四十歳で心が動かされることがなくなりました。」
公孫丑は言った。「それなら先生は、あの勇士・孟賁よりもずっとすごいです!」
孟子は微笑んで言った。「それほど難しいことではありませんよ。告子は私より先に、すでに心を動かされなくなっていました。」
解釈と現代的意義
この章句では、「外的成功や誘惑に対して揺るがぬ心」の重要性が語られています。
- “不動心”こそ真の強さ:名誉・権力・地位といった外的条件ではなく、それらに心を乱されない内面の静けさ・節操こそが真の人間的完成であるという孟子の哲学。
- 勇者を超える“静の徳”:肉体的な力(孟賁)よりも、心の平静(不動心)の方が偉大であるという価値観の転換。儒家思想における「勇」とは、制御された内面の力でもある。
- “成熟”とは外部要因に揺れないこと:年齢的にも「四十にして惑わず(論語)」と響き合う。人生の中で到達すべき心の境地を提示している。
ビジネスにおける解釈と適用
「権力・報酬に動じない判断力がリーダーの資格」
昇進、報酬、名声――これらに心を動かされないからこそ、リーダーは公平に判断できる。「得をするから」「評価されるから」ではなく、「正しいから選ぶ」という姿勢が、組織に信頼をもたらす。
「不動心は“決断力”と“継続力”を支える」
外的環境に右往左往しない心の安定は、長期的ビジョンや危機時の冷静な判断に直結する。不安定な時代だからこそ、“軸のある人物”が求められる。
「“難しくない”と語る先人の学び方」
孟子は「不動心は難しくない」と語るが、それは“日々の積み重ね”によって得たもの。現代のビジネスでも、日常の判断のなかで「心を動かさない練習」を積み重ねることが、最終的に大きな信頼を生む。
まとめ
この章句は、自己の精神的統御と、外的成功に揺るがぬ人格の重要性を孟子が静かに、しかし力強く語っている一節です。
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