目次
📜 引用原文(日本語訳)
第二〇章 二一
「怒らぬことと不傷害とは、つねに気高い人々のうちに住んでいる。
怒りは悪人のうちにつねに存在している。山岳のように。」
🔍 逐語訳(逐語・一文ずつ訳)
- 「怒らぬことと不傷害とは、つねに気高い人々のうちに住んでいる」
怒らず、他人を傷つけないという徳は、常に高潔な人々の心の中に宿っている。 - 「怒りは悪人のうちにつねに存在している。山岳のように」
怒りは悪しき性質を持つ人の心に常に根深く存在し、それは動かぬ山のように固く居座っている。
🧩 用語解説
- 怒らぬこと(アコーダ):怒りを起こさない心のあり方。仏教における最も尊い心の習慣の一つ。
- 不傷害(アヒンサー):あらゆる生命に害を加えないという行為・言葉・思いの実践。非暴力・慈しみの精神。
- 気高い人々(アーリヤ):道徳的に高められた人、悟りを志す聖なる存在。仏教では聖者を意味する語。
- 悪人(アスッジャ):道理を弁えず、自己中心的に生きる者。煩悩に染まり、怒りや貪欲に支配される者。
- 山岳のように:怒りが頑なで動かず、根深く居座っている様子の比喩。
📝 全体の現代語訳(まとめ)
怒らず、誰も傷つけないという心のあり方は、いつも品格ある人々の中に息づいている。一方で、怒りは悪しき心を持つ者の中に常に居座っており、それはまるで動かぬ山のように根深いものである。怒らぬ者は心を高く保ち、怒りに住まう者は内なる岩山のような硬さと孤立に苦しむ。
💡 解釈と現代的意義
この詩句は、怒りの有無がその人の人格と精神の高さを明確に分けることを説いています。
怒らない人は、ただ優しいのではなく、心が成熟している。怒る人は、ただ気性が荒いのではなく、自分を制する術を知らない。
この違いは、言葉や行動よりも「日常の心の在り方」に表れます。
また、「山岳のように」という比喩が秀逸です。怒りに取り憑かれた人の心は、重く、動かず、閉ざされていて、変化や成長を拒む――それこそが悪しき状態の象徴なのです。
🏢 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
リーダーの人格形成 | 怒りに頼らず、穏やかな統率を保つ上司は、人格者として尊敬され、心理的安全性ある職場を築く。 |
チーム内の信頼構築 | 怒りを表に出す人の周囲には緊張が広がるが、怒らず配慮する人の周囲には協調と信頼が育まれる。 |
自己研鑽の指標 | 自分の心の「怒り度」を日々観察し、減らしていくことが、成熟の目安になる。 |
コンフリクトマネジメント | 感情的対立の場では、怒りを抑え、対話に徹する者が「本当の意味での強者」となる。 |
🧠 心得まとめ
「怒りをもたず、誰も傷つけずに生きる――そこに真の高貴がある」
怒りに支配される心は、閉ざされた山のように頑なで冷たい。
しかし、怒りを持たず、人を傷つけぬ心は、天に通じる高みにある。
そのような静かな強さが、社会を変え、未来を導く光となる。
今日、あなたの心に怒りが生まれたなら、それに気づき、静かに微笑むことから始めよう。
この詩句は、「怒らぬ心こそ人格の高貴さを示す」という仏教の核心を端的に表現した一節です。
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