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結果に怒る前に、自らを省みよ

― 民が心を離したのは、上に立つ者の怠りである

鄒と魯の戦で敗北した鄒の穆公が、兵卒たちの裏切りのような態度に困惑していたのに対して、
孟子はその原因を民ではなく「君主自身の政治」にあると指摘する。

「凶年や飢饉の年には、老人や子どもが溝に倒れ、
若者は生きるために国を捨てて四方に散っていった。
それなのに、君の倉稟(米倉)は満ち、府庫(財政)は潤っていた――
にもかかわらず、役人は民の困窮を上に報告せず、放置していたのです」。

これはつまり、**上に立つ者の怠慢と残酷さ(=見殺し)**であり、
そのツケが、兵が将を救わなかった今回の一件に“跳ね返って”きたのだ、と孟子は喝破する。

孟子は、曾子の言葉を引く:

「これを戒めよ、これを戒めよ。
なんじに出づる者は、なんじに反る者なり」

これは、自分が撒いた種は必ず自分に返ってくるという、因果応報の道理を説いている。
兵卒たちが将を見殺しにしたのは、単に忠義の欠如ではなく、信頼を失った者たちの自然な帰結なのだと。

だからこそ、孟子は穆公に進言する――
「この件を咎めてはなりません。
君がもし仁政を行えば、民は再び上の者に心を寄せ、命をかけてともに戦うようになるでしょう」と。


引用(ふりがな付き)

「孟子(もうし)対(こた)えて曰(い)わく、
凶年(きょうねん)・饑歳(きさい)には、君(きみ)の民(たみ)老(ろう)弱(じゃく)は溝壑(こうがく)に転(まろ)び、
壮者(そうしゃ)は散(さん)じて四方(しほう)に之(ゆ)く者(もの)幾千人ぞ。
而(しか)るに君(きみ)の倉稟(そうひん)は実(み)ち、府庫(ふこ)は充(み)つ。
有司(ゆうし)以(もっ)て告(つ)ぐる莫(な)し。
是(こ)れ上(かみ)慢(おこた)りて下(しも)を残(そこ)うなり。
曾子(そうし)曰(い)わく、『之(こ)れを戒(いまし)めよ、之れを戒めよ。
爾(なんじ)に出(い)づる者(もの)は、爾に反(かえ)る者なり』と。
夫(そ)れ民(たみ)今(いま)にして後(のち)、之(こ)れを反(かえ)すことを得(え)たるなり。
君(きみ)尤(とが)むること無(な)かれ。
君(きみ)仁政(じんせい)を行(おこな)わば、斯(ここ)に民(たみ)其(そ)の上(かみ)に親(した)しみ、其の長(ちょう)に死(し)なん」


注釈

  • 凶年(きょうねん)…疫病が流行した年。
  • 倉稟(そうひん)…米倉。食料の備蓄。
  • 府庫(ふこ)…財貨の保管庫。国の経済的余裕を示す。
  • 残う(そこなう)…見殺しにする、苦しめる。
  • 曾子(そうし)…孔子の高弟。道徳と誠実を重んじた思想家。
  • 其の長に死なん…指導者に忠義を尽くし、命をかけて戦うこと。

パーマリンク案(英語スラッグ)

  • start-with-yourself(原因はまず自分に)
  • no-trust-no-sacrifice(信なくして忠は生まれず)
  • rule-with-care-not-blame(咎めるより、顧みよ)

この章は、民心と統治の深い因果関係を示す孟子の王道政治の神髄です。

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