孔子は、実の子である伯魚(はくぎょ)に対し、詩経の冒頭二篇「周南(しゅうなん)」「召南(しょうなん)」を修めたかと問いかける。
それらは、王公や大夫の夫婦生活、家庭の秩序を題材とし、「修身斉家(しゅうしんせいか)」――すなわち自らを修め、家庭を整える道を示した詩である。
孔子はこう諭す。
「もしそれらを学んでいなければ、人としての学びの扉の前で、塀に向かって立っているだけのようなものだ。
中を覗くことも、先に進むこともできない」。
基礎を学ばなければ、知の世界への道は開けない。
いくら高みを志しても、基本を疎かにしていては、知識も徳も積み上がらないという、厳しくも温かな教えである。
子(し)、伯魚(はくぎょ)に謂(い)いて曰(のたま)わく、女(なんじ)は周南(しゅうなん)、召南(しょうなん)を為(おさ)めたるか。
人(ひと)にして周南・召南を為めざれば、其(そ)れ猶(なお)正(まさ)しく牆面(しょうめん)して立(た)つがごときか。
現代語訳:
孔子は息子の伯魚に言った。「お前は詩経の『周南』『召南』をしっかり学んだか。
人としてそれらを学んでいなければ、ちょうど塀にまっすぐ向かって立っているようなもので、中の様子もわからず、一歩も前に進めないぞ」と。
注釈:
- 伯魚(はくぎょ):孔子の実子。名は孔鯉(こうり)。温厚な人柄で知られる。
- 周南・召南(しゅうなん・しょうなん):『詩経』の最初の二篇。家庭や人間関係の基本的道徳をうたった詩が多い。
- 牆面(しょうめん)して立つ:塀の正面に向かって立ち、道も見えず進めない状態。学びの道をふさがれた比喩。
原文:
子謂伯魚曰、女為周南召南矣乎。人而不為周南召南、其猶正牆面而立也與。
書き下し文:
子(し)、伯魚(はくぎょ)に謂(い)いて曰(い)わく、
「女(なんじ)は周南(しゅうなん)、召南(しょうなん)を為(よ)みたるか。
人にして周南、召南を為めざれば、其(そ)れ猶(なお)牆(かき)に正(ただ)しく面(めん)して立つがごときか。」
現代語訳(逐語/一文ずつ訳):
- 孔子は伯魚(孔子の子)に言った。「お前は『周南』『召南』を学んだことがあるか?」
- 「人としてこの二編を読まないなら、まるで壁に向かって正面を向いて突っ立っているようなものだ。」
用語解説:
- 伯魚(はくぎょ):孔子の息子。名は孔鯉(こうり)。教え子でもある。
- 周南(しゅうなん)、召南(しょうなん):いずれも『詩経』の冒頭に収められている二つの篇名。
この二篇は、家族愛・忠孝・礼節・調和といった基本的人倫を平易な言葉で歌った内容で、儒教教育の初歩とされる。 - 為む(よむ):学ぶ、読む、暗誦する。
- 牆面に正しく立つ:壁に向かって正対して突っ立っている意。
→ 視界が開けず、先が見えず、何も得られないことのたとえ。
全体の現代語訳(まとめ):
孔子は息子の伯魚にこう言った:
「お前は『詩経』のうちの“周南”と“召南”を学んだことがあるか?
人として、この二つを読まないままでいるのは、まるで壁に正面から向かって突っ立っているようなものだ。
前に進む道も見えず、何も得られず、愚かなままでいることになる。」
解釈と現代的意義:
この章句は、学問の初歩=人としての教養・礼節・情感を育む詩を学ぶことの重要性を説いています。
- 『詩経』の冒頭をなす「周南」「召南」は、家庭・親子・社会の和をうたった人倫の基本書。
- 孔子は、ただ知識を積むだけでなく、「人としての情緒や品性」を培う最初の学びが重要だと強調しています。
- 学ばなければ、ただ立っているだけで視野も人生も開けないという警告でもあります。
ビジネスにおける解釈と適用:
「教養なき専門性は“壁に向かう”ようなもの」
- スキルや知識だけで仕事をしている人は、広い視野や人間的な深みを欠く。
- 人との関係構築や文化理解には、「詩=教養・情感」の力が必要。
「ビジネスリーダーこそ“人間性の基礎”を学べ」
- 部下育成、顧客理解、社会貢献…これらは論理だけでなく、人間理解が不可欠。
- 情報や戦略を学ぶ前に、「人の情」や「礼の心」を養うべきという孔子の教えは、現代にも通じる。
「詩的感性が思考を深める」
- 詩を読むという行為は、比喩的に“遠くを見る目”や“内省の力”を養う。
- 顧客の潜在ニーズ、チーム内の空気、時代の流れを読むには、こうした感性が土台となる。
ビジネス用心得タイトル:
「視野を拓くのは“情”の学び──壁に向かうな、詩を読め」
この章句は、**「感性と教養なき専門人は、未来を切り開けない」**という深い警句でもあります。
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