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大きな志を持ち、初めに大いに奮発せよ

成功には、心震えるような覚悟と発奮が不可欠

孟子は、誰もが聖王のようになれる素質を持っていると説いた。
それは天賦の性善であり、志と努力によって開花する。

孟子が斉の太子に語ったのは、ただの励ましではなかった。
歴史に名を残す聖人たち——堯・舜・文王・周公ですら、同じ人間である。
「自分も男子、彼も男子、畏れる理由などない」
「舜は何者か。自分も何者か。同じ人間ではないか」
彼らの志は、私たちにそのまま繋がっている。

しかし、それを現実のものとするには、はじめに「瞑眩(めんげん)するほどの強烈な薬」が必要だ。
つまり、目が回るほどの覚悟と発奮。
それなくして、病は癒えず、道は拓けない。

「若(も)し薬(くすり)瞑眩(めんげん)せずんば、厥(そ)の疾(やまい)瘳(い)えず」
耳が痛くなる忠言も、心が揺れる決断も、すべては病を治すため。
志を持ち、大いに奮発する者こそ、道を成し遂げることができる。


引用(ふりがな付き)

書(しょ)に曰(いわ)く、若(も)し薬(くすり)瞑眩(めんげん)せずんば、厥(そ)の疾(やまい)瘳(い)えず。


簡単な注釈

  • 瞑眩(めんげん):目まいがするほどの強烈な反応。ここでは「本気の覚悟」を象徴する比喩。
  • 疾(やまい)瘳(い)えず:病気が治らない、つまり本質的な変化は起こらないということ。
  • 舜は何人ぞや、予何人ぞや:偉人との距離感をなくし、自らもその道を目指すという強い志の表れ。
  • 為者亦是の若し:「やる者は、みなそうなるのだ」という孟子の確信に満ちた語気。

1. 原文

公爲世子、將之楚、過宋而見孟子。孟子性善、言必稱堯舜。世子自楚反、復見孟子。孟子曰、「世子疑吾言乎。夫道一而已矣。成覵謂齊景公曰、『彼丈夫也、我丈夫也、我何畏彼哉。』顏淵曰、『舜何人也、予何人也。為者亦若是。』公明儀曰、『文王我師也、周公豈欺我哉。』今、絕長補短、將五十里也、可以爲善國矣。書曰、『若藥不瞑眩、厥疾不瘳。』」


2. 書き下し文

公、世子たるとき、将に楚に之かんとして、宋に過りて孟子を見(まみ)ゆ。
孟子、性善を道(い)い、言えば必ず堯・舜を称す。
世子、楚より反りて、復た孟子を見(まみ)ゆ。孟子曰(いわ)く、
「世子、吾が言を疑うか。夫(そ)れ道は一のみ。
成覵(せいけん)、斉の景公に謂いて曰(いわ)く、
『彼も丈夫なり。我も丈夫なり。我、何ぞ彼を畏れんや。』と。
顔淵曰(いわ)く、
『舜、何人ぞや。予、何人ぞや。為す者は亦た是のごとし。』と。
公明儀曰く、
『文王は我が師なり。周公、豈に我を欺かんや。』と。
今、長を絶ち短を補えば、将に五十里とならんとす。猶お以て善国たるべし。
書に曰く、
『若(も)し薬、瞑眩(めんげん)せずんば、厥(そ)の疾、瘳(い)えず。』と。」


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 「公、世子たるとき、将に楚に之かんとして、宋に過りて孟子を見ゆ」
     → 文公が世子(太子)であったとき、楚へ向かう途中で宋を通り、孟子と会った。
  • 「孟子、性善を道い、言えば必ず堯舜を称す」
     → 孟子は“人間の本性は善である”と説き、語るたびに堯や舜のような聖王を例に挙げた。
  • 「世子、楚より反りて、復た孟子を見ゆ」
     → 世子は楚から帰ると、再び孟子と面会した。
  • 「孟子曰く、『世子、吾が言を疑うか。夫れ道は一のみ』」
     → 孟子は言った。「世子よ、私の言葉が信じられないのか?道は一つしかないのだ。」
  • 「成覵、斉の景公に謂いて曰く、『彼も丈夫なり。我も丈夫なり。我、何ぞ彼を畏れんや』」
     → 成覵は斉の景公にこう言った。「彼も男であり、私も男だ。なぜ私が彼を恐れることがあろうか。」
  • 「顔淵曰く、『舜何人ぞや。予何人ぞや。為す者は亦た是のごとし』」
     → 顔淵は言った。「舜は何者か?私は何者か?努力すれば、私も舜のようになれるのだ。」
  • 「公明儀曰く、『文王は我が師なり。周公、豈に我を欺かんや』」
     → 公明儀は言った。「文王は私の師である。周公が私を欺くはずがない。」
  • 「今、長を絶ち短を補えば、将に五十里とならんとす。猶お以て善国たるべし」
     → 今、欠点を正し、長所を伸ばせば、領地がたとえ五十里でも善い国となれるだろう。
  • 「書に曰く、『若し薬、瞑眩せずんば、厥の疾、瘳えず』」
     → 『書経』に言う。「もし薬で目がくらむほどでなければ、重い病は治らない。」

4. 用語解説

  • 世子:王の後継ぎとなる太子。
  • 性善:孟子が説いた「人間の本性は善である」という思想。
  • 堯・舜:古代中国の理想の聖王。
  • 成覵(せいけん):勇気ある士人の象徴として引かれる歴史的人物。
  • 顔淵:孔子の高弟。人格と学識で知られる。
  • 文王・周公:理想の統治者として古典に登場。聖王政治の象徴。
  • 瞑眩(めんげん):目がくらむような副作用。効果の強い薬の比喩。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

文公が太子だった頃、楚へ向かう途中で宋に立ち寄り、孟子に会った。
孟子は「人の本性は善である」と説き、話すたびに堯・舜を例に挙げた。
その帰途、再び孟子に会ったとき、孟子は尋ねた。「私の言葉が信じられなかったか?道は一つしかない。

成覵は『相手も男、自分も男。なぜ恐れようか』と語った。
顔淵は『舜も人、私も人。努力すれば同じようになれる』と語った。
公明儀は『文王は私の師であり、周公が私を欺くはずがない』と語った。

たとえ国土が小さくても、欠点を補い長所を活かせば、善き国家になれる。
古典にもあるように、薬が効くためには時に副作用が必要なのだ。」


6. 解釈と現代的意義

この章句は、自己の可能性を信じ、偉大な先人を手本とせよという孟子の信念を力強く表しています。

  • 人間は善の本性を持ち、努力すれば誰もが聖人たり得る
  • 偉人と自分の間に線を引くな。「彼らも人、我らも人」
  • 改革・変革には“痛み”が伴うが、それを経てこそ癒される

孟子の言葉は、「他者依存のあきらめ」から「自律的な成長」へと人を導いています。


7. ビジネスにおける解釈と適用

「偉人も我も同じ人間。差は“志と行動”のみ」

  • 優れた経営者、先輩社員、顧客リーダーも、最初は“普通の人”だった。
  • 自分を卑下せず、同じフィールドで戦う姿勢が成長を生む。

「改革の痛みを恐れるな──“薬の副作用”を乗り越えよ」

  • 業務改革、社風改善、評価制度の見直しには一時的な混乱が伴う。
  • しかし“瞑眩”がなければ“疾”は癒えない。
  • 短期の不快を恐れず、中長期の利益を見据えて動け。

「信じるリーダーがいるなら、師とし道を進め」

  • 文王や周公のような理想像を、自社に当てはめて“信頼の軸”を持つ。
  • 道を一つに絞り、“ぶれない組織文化”を形成する。

8. ビジネス用心得タイトル

「人は舜となれる──偉人との差は“志”と“行動”のみ」



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