■ 引用原文(日本語訳)
たといためになることを数多く語るにしても、
それを実行しないならば、その人は怠っているのである。
牛飼いが他人の牛を数えているようなものである。
かれは修行者の部類には入らない。
――『ダンマパダ』第四章「はげみ」第22節
■ 逐語訳(一文ずつ現代語訳)
- たとえ役に立つことをたくさん語ったとしても、
他人のためになる正しい教えや知識を口にしたとしても、 - 自らがそれを実行しないのであれば、
自分の行動が伴わなければ、 - その人は怠けている者にすぎない。
見かけは立派でも、実質は真理の実践から遠い存在である。 - それは、牛飼いが他人の牛を数えているようなものだ。
価値あるものを見ても、それを自分のものとすることなく、ただ数えているにすぎない。 - そのような人は、修行者の一員とは認められない。
真に修行する者は、語るより行う者。見せかけではなく、実践によって道を歩む者である。
■ 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
ためになること(ヒタ・バーニー) | 真理に基づいた倫理的・精神的に有益な教え。 |
実行しない(アナッチャラ) | 知っていながら実践しない。知識と行動の乖離。 |
怠り(パーマーダ) | 精神的だらしなさ。努力の欠如。 |
牛飼いが他人の牛を数える | 知識を得ていても、それを自分の人生に活かさない無意味さの比喩。 |
修行者(サマナ) | 仏道を生きる者。形式ではなく中身で判断されるべき存在。 |
■ 全体の現代語訳(まとめ)
どれだけ価値ある教えを語ったとしても、
自らがそれを実行に移していなければ、
それはまるで、他人の牛を数えるだけの牧童のようなものだ。
見た目には知っているようでいて、何も手にしていない。
そのような者は、真の修行者、真の実践者とは言えないのである。
■ 解釈と現代的意義
この節は、**「知識や発言の立派さより、実行が真価である」**という仏教の根本的な態度を示しています。
知識だけを集め、立派なことを口にしながらも、それを自分の行動に落とし込めていない人は、
実は怠惰であり、本当の意味で道を歩んでいないのだという厳しい戒めです。
現代社会においても、「知っている」ことと「できている」ことは明確に区別され、
後者――実行する力――こそが、人間としての信用と価値を決定づけるのです。
■ ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
知識偏重への警鐘 | マニュアルや理論だけでなく、実際に「やる」「やり続ける」ことが最も重要。 |
リーダーの信頼性 | 語るだけのリーダーは信頼されない。言葉と行動が一致してこそ、部下の模範となる。 |
自己管理 | 成長の鍵は「知っていること」ではなく、「毎日やっていること」。 |
教育と習慣 | 社内教育も「実行と定着」がなければ空論で終わる。仕組みづくりと自己実践の両立が不可欠。 |
■ 心得まとめ
「語るだけでは、道を歩んでいるとは言えない。」
知っていることを誇る前に、
それを今日、あなたが“行っているか”を問え。
語るより先に、まずは自らが動くこと。
真の学びとは、実践によって血肉となり、人格となって現れるものなのです。
第四章「はげみ」の補遺節とも言えるこの第二十二節もまた、深い教訓に満ちています。
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