志を問われたとき、語らずにはいられない
楚の国に住む、狂人と称される男・接輿(せつよ)が、孔子の宿舎の前を通りかかり、風刺を込めた歌を歌った。
その歌は、孔子を聖なる霊鳥「鳳凰」にたとえ、こう告げていた。
「鳳や鳳や、なぜこの乱れた世に姿を現したのか。霊徳も衰えたものだ。
過去はもはや改めようがないが、未来ならまだ間に合う。やめるのだ。やめるのだ。
今の政治に関わる者には危険が迫っているぞ。」
この歌に込められた批判と警告を受け止めた孔子は、部屋を出て、自らの志を接輿に語ろうとした。
しかし接輿は、小走りに立ち去ってしまい、その機会は訪れなかった。
孔子は、たとえ相手が狂人であっても、自分の志を問う者に対しては誠実に応じたいと思っていた。
批判されることを恐れるのではなく、そこに対話の芽を見出し、語りかけようとした孔子の姿は、まさに仁の体現である。
「楚(そ)の狂(きょう)、接輿(せつよ)歌(うた)いて孔子(こうし)を過(よぎ)りて曰(い)わく、鳳(ほう)や鳳や、何(なん)ぞ徳(とく)の衰(おとろ)えたる。往(ゆ)きし者は諫(いさ)むべからず、来(きた)る者は猶(なお)追(お)うべし。已(や)まんのみ已まんのみ。今(いま)の政(まつりごと)に従(したが)う者は殆(あや)うし。孔子、下(くだ)りて之(これ)と言(い)わんと欲(ほっ)す。趨(はし)りて之(これ)を辟(さ)け、之(これ)と言(い)うを得(え)ざりき。」
真に志がある者は、問いかけに応じずにはいられない。
語句注釈
- 楚の狂(きょう):楚の国で「狂人」と呼ばれていた人物、接輿。風狂の士ともされる。
- 鳳(ほう)や鳳や:鳳凰は聖なる徳を持つ王者の象徴。ここでは孔子を象徴的に讃えつつ批判している。
- 往きし者(ゆきしもの):過ぎ去ったこと。すでに終わった過去。
- 来たる者(きたるもの):未来の出来事。これからのこと。
- 殆(あや)うし:危険がある。命や身分に関わる重大な危機。
- 趨(はし)る:小走りで急ぐさま。
- 辟(さ)ける:避ける、逃げる。孔子との対話を避けたこと。
パーマリンク(スラッグ)案
speak-when-questioned
(問われたときには語る)respond-to-criticism-with-heart
(批判には誠をもって応える)phoenix-in-chaos
(乱世に現れた鳳凰)
この逸話は、孔子の「語ることへの誠意」を象徴する一章です。批判に対しても逃げず、志をもって向き合おうとする姿勢が表現されています。
1. 原文
楚狂接輿歌而過孔子、曰、鳳兮鳳兮、何徳之衰也、往者不可諫、来者猶可追、已而已而、今之從政者殆而、孔子下欲與之言、趨而辟之、不得與之言。
2. 書き下し文
楚(そ)の狂(きょう)、接輿(しょうよ)、歌(うた)いて孔子(こうし)を過(よぎ)りて曰(いわ)く、鳳や鳳や、何(なん)ぞ徳(とく)の衰(おとろ)えたる。往(い)きし者は諫(いさ)むべからず、来(きた)る者は猶(なお)追(お)うべし。已(や)まんのみ已まんのみ。今(いま)の政(まつりごと)に従(したが)う者は殆(あや)うし。孔子、下(くだ)りて之(これ)と言(い)わんと欲(ほっ)す。趨(はし)りて之を辟(さ)け、之と言うを得(え)ざりき。
3. 現代語訳(逐語・一文ずつ)
- 「楚の狂、接輿、歌いて孔子を過りて曰く」
→ 楚の国の狂人・接輿が、歌を口ずさみながら孔子の前を通りかかってこう言った。 - 「鳳や鳳や、何ぞ徳の衰えたる」
→ 「鳳よ、鳳よ、なぜあなた(=賢者)の徳は衰えてしまったのか」 - 「往きし者は諫むべからず、来たる者は猶お追うべし」
→ 「過ぎ去ったことはもう正せないが、これから来ることはまだ間に合う」 - 「已まんのみ已まんのみ」
→ 「もうやめよ、やめよ」 - 「今の政に従う者は殆うし」
→ 「今の政治に従う者は危険だ」 - 「孔子、下りて之と言わんと欲す」
→ 孔子は馬車を降りて、彼と話をしようとした。 - 「趨りて之を辟け、之と言うを得ざりき」
→ すると接輿は走って逃げ、孔子と話をすることは叶わなかった。
4. 用語解説
- 楚狂(そきょう):精神に異常をきたしたように振る舞うが、実は賢者ともされる人物。
- 接輿(しょうよ):楚の国の隠者。非常識なふるまいで真理を語る“狂人賢者”の象徴。
- 鳳兮鳳兮:鳳凰に呼びかける語。鳳凰は聖王や賢者の象徴であり、孔子を指している。
- 往者不可諫(こうしゃふかかん):過去のことはもう改めようがない。
- 来者可追(らいしゃかつい):未来のことはまだ取り戻せる、変えられる。
- 已而已而(やんのみやんのみ):もはややめるしかない。警告や諦念の響き。
- 從政者殆(じゅうせいしゃあやう):政治に関わる者は危うい。権力との関係性に警戒が必要という意味。
- 辟く(さく):避ける、逃れる。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
楚の国の狂人・接輿が歌をうたいながら孔子の前を通り、こう言った:
「鳳よ、鳳よ、なぜお前の徳は衰えてしまったのか。過ぎたことはもう直せないが、未来はまだ変えられる。もうやめよ、やめよ。今の政治に仕える者はとても危険だ。」
孔子は彼と話をしようと馬車を降りたが、接輿は走って逃げ、孔子と話すことはなかった。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「理想と現実の隔たり」「賢者の孤独」「政治への懐疑」**を強く示唆するものです。
- 接輿は、孔子を鳳凰(聖者)と見つつも、理想が現実に通じないことを嘆いている。
- 過去の過ちを悔やんでも無駄だが、未来を正す努力はまだできる――というメッセージ。
- しかし現実は、賢者すらも政治の腐敗や不条理に巻き込まれ、「今の政に従う者は殆うし」と、権力に近づく危険性を警告。
孔子はこれを理解しながらも、誠実に語り合おうとしたが、真の対話には至らなかった。
これは、賢者同士ですら「相容れない立場」や「方法論の違い」があることを象徴しています。
7. ビジネスにおける解釈と適用
「理想は高く、だが現実は危うい──組織と信念の距離」
- 「過去は変えられない、だが未来は変えられる」
→ 失敗や改革の遅れを悔やむより、未来の方向性に希望を持つ姿勢が重要。 - 「今の政に従う者は殆し」=組織迎合の危険性
→ 腐敗した企業文化や価値観に無批判に従うことは、長期的に個人の信頼や道義を損なう。 - 信念ある者同士でも、接点が合わないことがある
→ 理念の共通性があっても、方法や姿勢が異なることで歩み寄れない場面は多い。だからこそ「言葉より理解」「形式より行動」が求められる。
接輿のメッセージは“信念ある諫言”
- あえて狂人を装い、正気では言えない真実を歌に託して伝える姿勢は、**現代における「風刺」「内部告発」「異論」**の象徴。
8. ビジネス用の心得タイトル
「理想を歌う狂人の声──変えられるのは“これから”」
この章句は、理想・警告・行動のすれ違いと、それでも真理を追い求める者たちの孤高と誠実を描いています。
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