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引用原文(日本語訳)
また私は一切のものの心に入る。
記憶、知識、及び〔無知の〕除去は、私に由来する。
私はまた、すべてのヴェーダにより知らるべき対象である。
私はヴェーダの終極の作者であり、まさにヴェーダを知る者である。
(『バガヴァッド・ギーター』第15章 第15節)
逐語訳
私は、すべての存在の心(意識)に入り、
記憶する力、知識を得る力、そして無知を取り除く力は、すべて私に由来する。
私はまた、ヴェーダ(聖典)を通じて知るべき対象であり、
ヴェーダの最終的な目的そのものであり、
ヴェーダの真意を知る者でもある。
用語解説
用語 | 意味 |
---|---|
心に入る | 神があらゆる生命の内なる意識に内在していること。純粋な意識の源である。 |
記憶・知識・無知の除去 | 学ぶ力、思い出す力、そして悟る力はすべて神的な源から生まれる。 |
ヴェーダ | 古代インドの聖典群。宇宙・人生・倫理・霊性の知識を含む。 |
知らるべき対象 | ヴェーダの教えを通じて最終的に到達すべき「神(真理)」。 |
終極の作者・知る者 | 神はヴェーダの目的であり、同時にその真意と本質を明らかにする存在である。 |
全体現代語訳(まとめ)
私は、すべての人の心の中に存在している。
記憶すること、知識を得ること、そして無知を克服すること――
そのすべての力は、私から来ている。
また、私はヴェーダによって最終的に知られるべき存在であり、
ヴェーダの真の意味を明らかにする源である。
解釈と現代的意義
この節は、「すべての知的活動の背後に神性が宿っている」ことを示しています。
私たちが学び、思い出し、理解するという精神活動のすべては、
“私が考えている”のではなく、“神の力によって考えさせてもらっている”という観点に立つと、
学びも行動も驕ることなく、深く謙虚になれるのです。
また、どれほど知識を積んでも、その最終的な目的は「真理(神)を知ること」にあるという姿勢は、
現代の知識偏重社会においても非常に示唆的です。
ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
学びへの姿勢 | 知識やスキルを「自分の力」と思わず、そこに与えられた知の源があることを認識し、謙虚さと敬意を持って学ぶ。 |
組織の知の活用 | チームメンバーの記憶力や理解力も、育成と環境によって育まれる「内在する力」であると考えることで、育て方が変わる。 |
知識の目的意識 | 情報やノウハウを集めるだけでなく、「何のために知るのか」「その知識は誰を照らすのか」という問いを常に持つ。 |
本質的学習文化 | 企業研修やナレッジ共有においても、単なる技術教育で終わらず「価値観」や「根源的理解」につなげる文化を醸成する。 |
心得まとめ
「知る力は、すでに内にある。そしてその先に、真理がある」
記憶も、理解も、学習も――
それは偶然でも、個人の所有物でもない。
内なる源から生まれる尊い力であり、
その力は、知識そのものよりも深い「本質の知」に導こうとしている。
そのことに気づいた時、
私たちの学びは傲慢から離れ、目的を持ち、
真に価値ある知恵となる。
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