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落ち目に寄り添える者こそ、本当の仲間


一、原文の引用

「人の心を見んと思はば煩へ」と云ふことあり。
日頃は心安く寄合ひ、病気または難儀の時大方にする者は腰抜なり。
すべて人の不仕合せの時別けて立入り、見舞、付届仕るべきなり。
恩を受け候人には、一生の内疎遠にあるまじきなり。斯様の事にて、人の心入は見ゆるものなり。
多分我が難儀の時は人を頼み、後には思ひも出さぬ人多し。


二、現代語訳(逐語)

「人の心を見たいと思うなら、自分が病気になるとよい」と言われている。
ふだんは親しく付き合っていても、いざ病気や災難のときに冷たくなるような人間は、腰抜けである。
人の不幸や困窮のときこそ、特別に立ち入って見舞い、支えてやるのが本当の礼である。
恩を受けた人に対しては、生涯、疎遠になるべきではない。
こうしたときにこそ、その人の「心の本質」が見えるのである。
また、自分が困っているときには人を頼るが、済んでしまえばそのことすら忘れる人も多い。


三、用語解説

  • 煩へ(わずらえ):病気になる、または困難に遭うこと。
  • 腰抜なり:意気地なし、薄情者の意。
  • 不仕合せ:不運、災難、落目(おちめ)を意味する。
  • 見舞・付届(つけとどけ):見舞いの訪問、支援、贈り物などの配慮。
  • 疎遠(そえん):関係が遠くなること、無関心にすること。

四、全体の現代語訳(まとめ)

人の本当の心は、相手が病気や困難に遭ったときにこそ見えてくる。
平時には親しげにしていても、災難のときに冷たくなるような者は信頼に値しない。
逆に、不運なときこそ手を差し伸べることで、真の思いやりと人間性が示される。
また、恩を受けた者に対しては、その後も誠意を忘れず、生涯にわたり感謝と関係を大切にせよ。
困難な時には人を頼りにするのに、立ち直った後は忘れてしまう――そのような心の浅さを戒めている。


五、解釈と現代的意義

この逸話は「逆境こそ、人間の真価を照らす舞台である」という普遍的な教訓を語っています。
平常時の関係では分からない「真の信頼」「人の本性」は、落ち目のときにどう振る舞うかで明らかになります。

また、現代では「成果主義」や「効率重視」が強調されるあまり、「損得でしか動かない人間関係」が蔓延しがちです。
しかしこの逸話は、「恩義」「情」「誠」といった、目に見えぬが深く価値ある人間性の根幹を取り戻すよう諭しています。


六、ビジネスにおける解釈と適用

項目解釈・適用内容
組織運営成果が出ない社員を見捨てず、育てる姿勢が真のリーダーシップ。人事や評価は「落ち目での支援」によって信頼を生む。
カスタマーサポートクレームやトラブル対応時に、顧客の「怒り」の奥にある「困りごと」へ寄り添う姿勢が、長期的な信頼につながる。
人脈形成利用価値があるときだけ接する人間関係は浅い。困っているときこそ接点を持ち続けることで、真の縁が育まれる。
退職者や元同僚過去に恩を受けた人には、役割が変わっても感謝と礼を忘れない。人的資本はそうした誠意の積み重ねで築かれる。
リーダーの器困っている部下やチームを見捨てず、あえてそこに立ち入ること。それが人望と信頼を生む「大将の器」である。

七、心得まとめ

落ち目のときに、そっと手を差し伸べる。
忘れられているときに、思い出す。
見返りなどない誠意を持つ人こそ、人間として最も美しい。
人の困難に寄り添うこと。それが信頼を育み、絆を深める。


目次

🌟結論:「落目の人にこそ」の教えが今に問いかけること

  • 付き合いとは、良いときより悪いときに試される。
  • 困っている人を支える勇気と誠意が、本当の信頼と尊敬を生む。
  • 恩を受けたならば、生涯にわたり礼を尽くす。忘恩は最大の不徳。

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