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正しき者は、そしられる宿命にある

弟子の貉稽(かくけい)が、「多くの人に悪く言われて困っている」と嘆いたとき、孟子はそれにこう応えた。
**「気にするな。それは士(=志ある者)の証しである」**と。

孟子の見解は明快だ。士(し)とは正義を貫く者であり、正しき道を行く者は、多くの凡俗や小人に疎まれ、悪口を言われるのが常だという。

彼は『詩経』の二つの詩を引用し、その証拠を示す。

  1. 「憂心悄悄(ゆうしんしょうしょう)、慍于群小(ぐんしょうにうらまる)」――
     これは孔子を指す詩句であり、「正しさを貫くあまり、小人にそしられ、心は晴れずに悩んだ」ことを示している。
  2. 「肆(そ)に厥(そ)の慍みを殄(つ)くさず、亦(また)厥の問(もん)を隕(おと)さず」――
     これは周の文王について述べた詩句であり、「最後まで小人たちのうらみを晴らすことはできなかったが、彼の名誉は決して損なわれなかった」と読まれる。

孟子がここで伝えたのは、批判を恐れず、正しさを貫けという力強い励ましであり、
同時に、非難されることは、むしろ自らの正しさの裏付けになることもあるという深い洞察でもある。


引用(ふりがな付き)

「貉稽(かくけい)曰(いわ)く、稽(けい)大(おお)いに口(くち)に理(ことわり)あらず。
孟子(もうし)曰(いわ)く、傷(いた)むこと無(な)かれ。士(し)は玆(ここ)の多口(たこう)に憎(にく)まる。

詩(し)に云(い)う、憂心悄悄(ゆうしんしょうしょう)、慍于群小(ぐんしょうにうらまる)、と。孔子(こうし)なり。
肆不殄厥慍(そにそのうらみをたたず)、亦不殞厥問(またそのもんをおとさず)、と。文王(ぶんおう)なり」


注釈

  • 口に理あらず…人に悪く言われてつらい、理不尽な評価を受けること。
  • 多口に憎まる…多くの者に悪く言われる。とくに凡庸な者に嫉まれること。
  • 憂心悄悄…心が憂いに満ち、静かに沈んでいる様子。
  • 群小に慍まる…小人たち(利己的で徳のない者)にうらまれ、そしられる。
  • 問(もん)…名誉、評価、社会的な評判の意。
目次

1. 原文

貉稽曰、稽大不理於口。
孟子曰、無傷也、士憎茲多口。
詩云、「憂心悄悄、慍于羣小」。孔子也。
「肆不殄厥慍、亦不殞厥問」、文王也。


2. 書き下し文

貉稽(かくけい)曰(いわ)く、稽(けい)は大いに口に理(ことわり)あらず。
孟子(もうし)曰く、傷(いた)むこと無(な)かれ。士(し)は茲(ここ)の多口(たこう)に憎(にく)まる。
詩(し)に云(い)う、「憂心悄悄(ゆうしんしょうしょう)たり、羣小(ぐんしょう)に慍(いか)る」、と。孔子(こうし)なり。
「肆(そ)に厥(その)慍(いか)りを殄(つ)くさず、亦(また)厥の問(と)いを隕(おと)さず」、文王(ぶんおう)なり。


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 貉稽曰、稽大不理於口。
     → 貉稽が言った、「私は弁舌においてはまったく理屈を立てられません」。
  • 孟子曰、無傷也、士憎茲多口。
     → 孟子は言った、「気にすることはない。士(人格ある者)は、かえってこの“多弁な者”を嫌うものだ」。
  • 詩云、憂心悄悄、慍于羣小。孔子也。
     → 『詩経』に言う、「心に憂いありて悄悄(しょんぼり)とし、群小(=つまらぬ小人)に怒りを抱く」──これは孔子のことだ。
  • 肆不殄厥慍、亦不殞厥問、文王也。
     → 「その怒りを滅ぼすことなく、またその問いをやめることもなかった」──これは文王の姿である。

4. 用語解説

  • 貉稽(かくけい):孟子の弟子の一人。ここでは自分の弁舌力のなさを卑下している。
  • 口に理あらず:弁舌が立たず、うまく理屈を語れないこと。
  • 士(し):人格ある知識人・君子。道徳的規範を重んじる者。
  • 茲の多口(ここにおける多弁):言葉数が多く、理屈ばかり並べ立てる者。
  • 詩云…:『詩経』からの引用。古典の言葉で人物像や行為を象徴する用法。
  • 悄悄(しょうしょう):静かで沈んだ様子、憂いのこもった心。
  • 羣小(ぐんしょう):小人たち。器量の小さい、志の低い人々。
  • 慍(うら)み/怒り:心の中の怒りや憤り。
  • 殄(つ)くす:滅ぼし尽くす、終わらせる。
  • 問(とい):問い、探究心、追及。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

貉稽が言った:

「私は弁が立たず、理屈を語るのがとても苦手です。」

それに対して孟子は答えた:

「気にすることはない。人格ある人間は、むしろ口数の多い者を嫌うものだ。
『詩経』にもこうある──“心に深い憂いを抱き、つまらぬ者たちに怒りを覚える”──これは孔子のことだ。
また“怒りをすべて忘れ去ることなく、それでも問いを続けた”──これは文王の姿だ。」


6. 解釈と現代的意義

この章句は、**「言葉ではなく人格で語れ」**という孟子の哲学を伝えています。

貉稽のように弁舌に自信がない者に対し、孟子は「真の士は多弁を嫌い、内に徳を備える者を尊ぶ」と励まします。
また、孔子や文王のような偉人も、言葉少なくして深い怒りや探求を持っていたことを引き合いに出し、**“雄弁であることが人格の証ではない”**という価値観を示しています。


7. ビジネスにおける解釈と適用

「話し上手より、信頼される人」

  • プレゼンや議論が得意なだけでは信頼は得られない。言葉より誠実さ、誠意ある行動が評価される。

「“静かな怒り”と“問い続ける姿勢”が変革を生む」

  • 文王のように、すべてを黙って許すのではなく、怒りを内に宿しながらも問いをやめない者こそが、時代を変える力を持つ。

「多弁なリーダーより、思慮深い問いを発するリーダーを」

  • 部下や組織の問題に対して、瞬時に答えを出すのではなく、問いを発し続けるリーダーが、信頼と成長を引き出す。

8. ビジネス用心得タイトル

「語らずとも伝わる徳──問い続ける姿が、信頼を生む」


この章句は、「弁舌や論理よりも、沈思と探究、そして徳の深さこそが人を動かす」という孟子の価値観をよく表しています。
“言葉に頼らず、在り方で語る”──現代のリーダーにとっても深い示唆を与える言葉です。

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