目次
📜引用原文(日本語訳)
第八十一偈
戒めをたもっている人は修行僧であり、
空を体現している人は瞑想者であり、
専念している人はヨーガ行者であり、
ときほごされてやすらぎに帰しているところには安楽がある。
—『ダンマパダ』第二章 第八十一偈
🔍逐語訳と用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
戒め(シーラ) | 身・口・意における倫理的な制御、五戒・八戒など仏教の道徳的訓練。 |
空(シューニャター) | すべての現象が実体を持たないという智慧の境地。「自己」も「もの」も固定されないと見る深い洞察。 |
瞑想者(ジャーナ) | 禅定に到達した者。空を直観し、その真理に安住する者。 |
ヨーガ行者(ヨーギン) | 専念(サマーディ)を通じて心を統一し、霊的解脱を目指す者。 |
ときほごされて(ヴィムッタ) | 束縛(煩悩や迷妄)から解放された状態。 |
やすらぎに帰す(ニッバーナ) | 涅槃に至ったこと。苦悩と輪廻からの完全な自由。 |
🪞全体の現代語訳(まとめ)
戒律を守る者こそ、真の修行僧であり、
空(すべては無常・無我である)を理解し体現する者こそ、瞑想者である。
心を集中し、道を専念して歩む者こそ、ヨーガ行者と呼ばれる。
そして、すべての煩悩・執着・思い込みから自由になった者には、
真の安楽(ニッバーナ)がもたらされる。
🧠解釈と現代的意義
この偈は、精神修行の三段階(戒・定・慧)の統合的実践を説いています。
「戒」は行動の土台、「空」は智慧の到達点、「専念」はその道程を指します。
つまり、単に静かに座ることではなく、日々の行動、世界の見方、心の集中が三位一体となったとき、
人は本当の「やすらぎ(平安)」を得るのです。
現代人にとっても、自己管理・認知の柔軟性・集中力という要素の融合が、
ストレスの少ない、満ち足りた人生を築く鍵となります。
💼ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 解釈と応用 |
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倫理と規律(戒) | 組織内での誠実さ・信頼を築く土台。ルールを守るだけでなく、誠意を持って行動することが本質。 |
認知の柔軟性(空) | 「こうあるべき」「自分が正しい」といった固定観念を離れ、現実をあるがままに観る力。 |
専念(ヨーガ) | 目の前の課題に没頭しつつ、執着しない。パフォーマンスと心の平穏を両立させる集中力。 |
解放と幸福 | 外的成果ではなく、心の状態としての幸福。仕事のなかに「安らぎ」を見出すことも可能。 |
✅心得まとめ
「律することで自由となり、空を知ることで心は軽くなる」
「修行」とは特別な行為ではない。
毎日の生活の中で、誠実さを守り、見方を変え、集中することで、
人は本来の自分を取り戻し、苦しみから自由になっていく。
それは逃避ではなく、「静かなる実践」。
その先にあるのが、ときほごされた者のやすらぎである。
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