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道具は与えられても、上達するかは自分次第

孟子は、技術の習得における「主体的な努力」の重要性を説いている。
たとえば建具屋や大工、車輪や車台をつくる職人たちは、人に道具の使い方は教えられるが、「器用にさせる」ことはできない。

つまり、知識や手法は教えてもらえるが、それを活かして自ら上達できるかどうかは、本人の意欲と努力にかかっている。
他者はきっかけや環境は与えられても、結果を保証することはできない。

学びとは、受け取る姿勢以上に、活かす努力によって実を結ぶものだ。
「教えてもらえなかった」ではなく、「自ら得ようとしたか」が問われている。

目次

原文

孟子曰、梓・匠・輪・輿、能與人規、不能使人巧。

書き下し文

孟子(もうし)曰(いわ)く、梓(し)・匠(しょう)・輪(りん)・輿(よ)は、能(よ)く人(ひと)に規(のり)を与(あた)うるも、人をして巧(たく)ならしむること能(あた)わず。

現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 孟子曰
     → 孟子は言った。
  • 梓・匠・輪・輿、能與人規、
     → 木工や職人、車輪職人や車台職人は、人に作業の手本や基準(=規)を与えることはできる。
  • 不能使人巧。
     → しかし、他人を器用にすることはできない。

用語解説

  • 梓(し):木工職人、特に彫刻などを担う者。
  • 匠(しょう):職人一般、特に建築や道具の製作に携わる熟練者。
  • 輪(りん):車輪職人。木製の車輪を製作する技術者。
  • 輿(よ):車台職人。車の骨組みや台座を作る者。
  • 規(のり):定規・型・手本。作業の基準や方法論を指す。
  • 巧(たく):巧み、熟練、技術的な上手さ。

全体の現代語訳(まとめ)

孟子は言った:
「木工や職人、車輪職人や車台職人といった技術者は、手本や基準を教えることはできる。だが、それによって他人を器用にさせることまではできない。」

解釈と現代的意義

この章句は、**「教育・指導の限界と本人の修練の必要性」**について述べたものです。

孟子はここで、熟練者が基準や方法(型)を示すことはできても、最終的な「巧さ」=実力は、本人の努力と修行によるしかないと説いています。

これは単なる技術習得に限らず、倫理や政治、人格の陶冶にも通じる原理です。いくら優れた教育があっても、それを活かすかどうかは学ぶ側の意志と行動にかかっているのです。

ビジネスにおける解釈と適用

「マニュアルは教えられる、だが成果は自分次第」

  • 上司や先輩は手順や型(マニュアル・フレームワーク)を与えることはできる。
  • しかし、「その通りやっても成果が出ない」のは、本質を理解せず、自分の工夫が足りないからである。

「育成の責任は二分:教える側と、学ぶ側」

  • 教える者が“規”を与えた後、巧さに至るかどうかは本人次第。
  • 逆に、すべてを教わってから動こうとする人間は、成長が遅い。

「見て学ぶ」「やって磨く」文化を築く

  • 熟練者の“技術”や“姿勢”を直接見て学び、自分で体得していく文化が、強いチームや職人集団を作る。
  • 口頭で教えただけで“巧くなる”と期待するのは、間違い。

ビジネス用心得タイトル

「型は教えられる、巧さは磨く──“自ら成る”が成長の本質」

この章句は、教育・指導・習得というあらゆる学習の本質を突いています。
「教えてもらう」だけではなく、「自分で身につける」覚悟と行動こそが、真の成長を生むという孟子の教えは、現代の人材育成にも通じます。

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