ゆったりとして、心の奥から沁みてくるような趣(おもむき)は、
贅沢で華やかな暮らし――たとえば濃厚な美酒に酔いしれるような世界からは生まれない。
むしろ、豆のかゆをすすり、水を飲むような質素で素朴な生活のなかにこそ、
**心を落ち着かせ、深く味わうことのできる本当の“悠長の趣”**が宿っている。
また、四季の移ろいを感じ、風情に胸を打たれるような惆悵(ちゅうちょう)の懐いは、
ただ枯れ果てたような寂しい生活からではなく、
竹の笛の音を調べたり、琴の糸を整えたりする――素朴だが潤いのある日常から生まれる。
このようにして、濃いものはすぐに飽きられ、淡いものにこそ真の趣があるということが、自然とわかってくる。
引用(ふりがな付き)
悠長(ゆうちょう)の趣(おもむき)は醲釅(じょうえん)に得(え)ずして、
菽(しゅく)を啜(すす)り水(みず)を飲(の)むに得。
惆悵(ちゅうちょう)の懐(おも)いは、枯寂(こじゃく)に生(しょう)ぜずして、
竹(たけ)を品(しな)び糸(いと)を調(ととの)ぶるに生ず。
固(まこと)に知(し)る、濃処(こくしょ)の味(あじ)わいは常(つね)に短(みじか)く、
淡中(たんちゅう)の趣(おもむき)は独(ひと)り真(しん)なるを。
注釈
- 醲釅(じょうえん):味の濃い美酒や贅沢な暮らしの比喩。快楽の象徴。
- 菽(しゅく):豆。庶民的で質素な食事の象徴。
- 啜る:すすって飲む。日常的で簡素な所作。
- 惆悵の懐い(ちゅうちょうのおもい):四季の移ろいを感じてしみじみとする心情。さびしさを含みながらも情趣がある。
- 竹を品ぶ・糸を調ぶ:笛や琴の音を調整し、風流を楽しむこと。潤いのある静かな生活の象徴。
- 淡中の趣(たんちゅうのおもむき):控えめであっさりした中にこそ宿る深い味わい。
関連思想と補足
- 『老子』が説く「無為自然」や「質素の美」と通じる。外的な豊かさより、内面的な静けさや潤いが重視される。
- 『菜根譚』では繰り返し「濃いものは短く、淡いものは長く深く続く」ことが説かれており、本項はその代表的な一節。
- 現代における**「ミニマリズム」「シンプルライフ」**も、まさにこの思想の現代的展開であるといえる。
原文:
悠長之趣、不得於醲釅、而得於啜菽飮水。
惆悵之懷、不生於枯寂、而生於品竹調絲。
固知、濃處味常短、淡中趣獨眞也。
書き下し文:
悠長の趣は、醲釅(じょうえん)に得ずして、菽(しゅく)を啜り、水を飲むに得。
惆悵の懐いは、枯寂に生ぜずして、竹を品し、糸を調ぶるに生ず。
固より知る、濃き処の味わいは常に短く、淡き中の趣は独り真なるを。
現代語訳(逐語/一文ずつ):
- 「悠長の趣は、醲釅に得ずして、菽を啜り水を飲むに得」
→ 長く穏やかに続く味わい深い趣は、濃厚で豪華なものからは得られず、豆をすすり、水を飲むような質素な生活の中にこそ見出せる。 - 「惆悵の懐いは、枯寂に生ぜずして、竹を品し糸を調ぶるに生ず」
→ 物寂しく切ない情緒は、ただの枯れた静けさから生まれるのではなく、楽器の音色(笛や琴など)を味わう中から育まれる。 - 「固より知る、濃き処の味わいは常に短く、淡き中の趣は独り真なるを」
→ 濃くて華やかなものの味わいはすぐに飽きが来るが、淡く静かなものの中にこそ、真の趣が永く宿ることを、私は深く知っている。
用語解説:
- 悠長(ゆうちょう)之趣:長く続く、深く落ち着いた味わい・楽しさ。
- 醲釅(じょうえん):味や印象が濃く強いこと。濃厚な体験や華やかな場。
- 菽(しゅく):豆。貧しい食事の象徴だが、質素で滋味深いもの。
- 啜菽飮水(せっしゅくいんすい):豆をすすり水を飲む。清貧な生活のたとえ。
- 惆悵(ちゅうちょう)之懷:物寂しく切ない感情。ややロマンティックな哀愁。
- 品竹調絲(ひんちくちょうし):竹(笛)や糸(琴)など楽器の音を味わうこと。風雅な情趣を楽しむ場面。
- 濃處(のうしょ):濃密で華やかなところ。
- 淡中(たんちゅう):あっさりとして静かなものの中。
全体の現代語訳(まとめ):
穏やかで長く続く趣き深さは、贅沢で濃厚な体験からは得られず、質素で滋味深い日常にこそ見いだされる。
また、心に染み入る切ない感情は、単なる枯れた静けさではなく、美しい音色などの風雅なものに触れる中で生まれてくる。
だからこそ、人は知るべきである。華やかなものの味わいは一時的だが、静かで淡いものの中には、真の味わいが息づいているのだと。
解釈と現代的意義:
この章句は、**「淡泊さの中にこそ、深い幸福と真の趣がある」**という中国的美学・価値観を端的に表現しています。
1. “派手な刺激”は続かない
- 贅沢で濃厚な体験は一瞬の快楽だが、やがて飽きが来る。
→ 心を満たすのは、むしろ静かで控えめな日常の中にある。
2. “音楽や芸術”が心の奥を揺らす
- 風の音や楽器の音色など、自然や芸術に触れると、内面からの哀愁や感性が湧き上がる。
→ 人間の感情は、強さよりも「余白」で育つ。
3. “淡さ”こそ持続する美
- 目立たずとも、永く味わえる関係性や空間、仕事のスタイルがある。
→ 表面的な派手さよりも、じわじわと効いてくる「淡中の真」が価値あるものとなる。
ビジネスにおける解釈と適用:
1. “一過性のヒット”ではなく、“持続可能な価値”を目指す
- 一時的なブームや流行は「濃い」ものの典型。すぐに忘れられる。
→ 「淡くても長く愛される」ブランド・商品設計が、最終的に信頼を得る。
2. “地味な仕事”が組織を支える
- 目立たず淡々とした業務こそ、会社の屋台骨。
→ 本当のプロフェッショナルは、“淡中の真”を知っている。
3. “心の豊かさ”はシンプルな生活の中にある
- 豪華な報酬や派手な演出よりも、シンプルで風雅なオフィス空間や雑談文化が、社員の創造性と幸福度を高める。
→ 「過度な演出より、心に響く余白」を。
ビジネス用心得タイトル:
「濃い味は短く、淡き中に真の味──長続きする価値を選び取れ」
この章句は、**「シンプルさの中にこそ、本物の美と力がある」**という真理を詩的に説いています。
現代は何かと「濃く・派手に・多く」が良しとされがちですが、
実際に人の心を深く打ち、長く残るのは、静かで控えめな“余白のある豊かさ”です。
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